UTokyo bicycle racing team

自分のあまりの弱さに腹が立った。北海道から何も変わっていないのだろうか。
そして野望は断たれた。

全日本選手権エリート。結果は42位グルペット完走というふがいない形で終わった。孝之さんには様々な方に売り込んでいただき、手厚いサポートまでしてもらいながらこの結果は本当に恥ずかしいものだ。

やはり補給時のスピードがゆっくりでないととれないことと、下りが下手なことがありとあらゆる点で響いている。

展開としては、概ね中盤まではうまくやった。3周目に起きた、有力選手が全部入った恐ろしいエスケープに唯一アンダーで入ることもできたが、これはあまりに面子が良すぎたために集団がすぐに潰しに入った。新城氏と佐野さんがつつーっと上がったのを見て危機を察知し無理やり入ったのだが、これはOK。

問題の落車は110キロほどで起きた。スタートライン直後、時速50キロは出ているであろう下りで、2つ前の選手が後輪をドリフトさせ、前のシマノ阿部(良之)選手が横転し、僕はそれにもろに乗り上げた。おいおいまたかよ、などと思いながら吹っ飛んで地面に叩きつけられて転げまわった後路肩で止まった。しばしショック状態で身体が動かず。ドクターカーがやってきて危うく収容されるところでどうにか身体を起こしてバイクに乗ることができた。どうやってもやすやすとDNFになるわけにはいかなかった。すぐに阿部さんに追いつくが(彼もすぐに立ち上がった)、シフターがいかれたらしくすぐにパスして全開で集団を追走。3段坂の途中でどうにか追いついたが、かなり足にきた。

その後登りの度に(下りも)足がじわじわとなくなり、どうしようもなくなってくる。いつもなら楽勝だが、追走で勝負どころのストックを使い果たしてしまった。おまけに暑さによる疲弊が激しく、いつもの出力が全くでない。やむを得ないのであらゆる延命措置を施す。

残り4周のところで強烈なペースアップが起こり、覚悟した。絶対に1人で切れないようにする。幸いシマノやメイタンの選手とうまくグルペットを組織できた。といっても、既に臨界に達した自分は彼らよりほとんど余裕がなく、かなり引いてもらう。

もう後は苦痛しか記憶にない。厳しい、厳しいレースだった

帰りの空港で飯島さんにちょっとお話しを伺う。やはり集団内で場所を獲得するには実業団レベルでレースに多く出て、なにかしかの動きを見せ、名前を売る他ないという話だった。しかし、それは自分の生活ではどうやってもできない。

北海道は如何すべき。課題だらけだ

帰りの空港からは大島さん、大脇さん、細川さんに大変お世話になり、死にそうな身体で電車を乗り継がずにすみました。本当にありがとうございました。補給のサポートを東さんありがとうございました。

しばらく休養して今シーズン後半に備えます。