UTokyo bicycle racing team

最後のインカレロード。中村さんがサポートをしてくださった!
コースは3年前に走った階上町の周回コース。2周DNFとなり競技に本気で取り組むきっかけを与えてくれた、思い出深いコースである。
ブログで度々書いているように、体感ではだいぶ調子がよく、坂インターバルをしても浦からあまりちぎれることなく、しっかり粘ることができていた。
さすがに競技4年目なので、スタート前の準備は早め早めで完璧にこなし、スタートはクラス2の2列目をとる。パレードでも積極的にポジションを上げ、前から1/4ほどの位置で坂に突入。1周目からだいぶきついが、長い坂はポジションキープ、激坂はポジションを落としながら何とかこなす。アップダウン区間は後ろで休む。S/F地点を過ぎた辺りから有力校が前に集まろうとしているのでビタ着きして前から1/5を確保。案の上長い坂は結構なペース。2段目の最後にオールアウトしそうになってポジションを若干下げる。かなり限界近い。ここはもっと大胆にポジションを下げて力を温存すべきだった。そうすれば2周回完了時点までに集団復帰できたかもしれない。下ったあとの激坂は先頭を気にせず自分のペースで登ろうとしたが、あまりにも集団先頭が離れすぎたため、結局追い込んでしまう。周りに人があまりいなくなってしまったが、投げ出すわけにはいかない。余裕ができるまで後ろからくる数名ほどをスルーしてしまったが、何とか人を集め6名ほどの集団を作ることに成功した。毎度のことだが、追走集団では明らかに足が残っている。ある程度の負荷までは難なくこなせるのに、少し強度が上がると一気にダメになる弱点は結局改善されないままだった。集団はかなり緩んでいるらしく、最大3分以上開いた差が3周終了時点で1分に。追いつけると確信し、さあ平地で一気に詰めるぞと意気込んだところで、逃げとのタイム差が開いていたために赤旗
信じられずしばらく呆然としていた。4周目完了まではメイン集団は相当緩んでいたため、走れば確実に復帰できたと思う。ただ、その後の日大のペースアップでこぼれていく人たちを見ていると、どのみち完走は無理だとわかった。去年に選手権完走というハードルまでの差をもう一歩のところまで縮めることができたが、自分が思っていたより学連のレベルは上がってきており、自分の能力の上昇幅をはるかに超えるものだったのだ。
自分が下級生の頃、東大は本当に強く、1年秋の入部以来、その一員としてインカレで活躍し、後輩から憧れられるような選手になりたいと思っていた。2年生の秋からこれまで、如何に練習時間を確保するかを生活の最重要課題としてきたし、失敗する度に原因を考え、「才能がないのではないか」という疑心と戦ってきた。しかし結果を鑑みるに、結局「つもり」の域を脱することはできなかったのだろう。ただ一番の後悔は、時間のある2年の夏学期に本気になれなかったこと。ここでレベルを一気に上げて選手権である程度走れるようになっておけば、その後の状況は激変していたのではないかといつも思ってしまう。
監督、チームメイト、マネージャー、OBの方々、柿木克之さん孝之さん、日直商会様をはじめとするスポンサー様、様々な方々のご協力のもと競技を続けてきた。院生になってからは時間の確保が難しく何度も引退を考えたが、その度に応援してくださる人たちが支えてくれた。感謝の気持ちを少しでも結果で報いることができればと思っていましたが、結果を出せず申し訳ありません。今まで本当にありがとうございました。
4年間を振り返って後悔は尽きないが、良かったこともあった。特に六大戦チームTTや選手権チームTTではその後プロとなる2人と同じチームで走らせてもらい、僕個人では考えられないような結果を出すことができた。この経験は多くの失敗体験と共に僕のかけがえのない財産として一生生き続けると思う。
北海道は出たい気持ちはありますが、今回戦えるレベルでないことを痛感したので未来ある後輩に託します。あと1年半は学校に残るので、今後できる限り選手のサポートをしていきたいと思います。