UTokyo bicycle racing team

9/2 インカレロード@美麻 DNF
最後のインカレ、最後のロードレース。この1年、特に秋〜冬の半年は満足な練習ができずに怪我も重なり辛かったが、この日のためにできる限りは尽くしてきた。目標は完走、そして東大から一人でも20位以内に送り込み、その一人になる気も満々で臨む。
ところが、出走直後のパレード区間で前の落車に突っ込んで転倒し、前後パンク。ニュートラルサービスの代輪に換えてもらい、パレードを終え待機していた集団の最後尾に合流する。正直かなり動転していたが、ポジティブな言葉を口に出してどうにか気持ちを整える。幸い機材は無事で、肩を打ったものの立ち上がりで少し痛む程度。レースはまだ始まってすらいない。
5分坂でリアルスタート後すぐに横からポジションを上げに行くが、ペースが速くて異様にキツく、せっかく上げたポジションを二段坂で下げてしまう。2周目の下り平坦区間でも上がれずそのまま魔の180°ターン〜一列ゾーン、わかってはいたが5分坂に入ったときにはもう集団は見えない。登りを全開で踏んでも追いつけず、下りで鹿屋がかっ飛ばす後ろに飛び乗ってようやく背中を捉える。二段坂は皆の声援を糧にギリギリで前との差を保ち、平坦で無事集団復帰。逃げを行かせるためのペースダウンで命拾いした。
そこからしばらく集団は逃げとの差をキープ。おかげで回復できたが、隙を見つけて前方へ出てもポジションを維持できず、肝心の180°ターンは毎度後方。一度こうなると5分坂の最初に1〜2分踏んで集団に着くまでに疲れて前に出られなくなる悪循環。とにかく諦めずに耐えるしかできない。7周目の5分坂で力尽きていく井上からボトルをもらって、これでゴールまで行くんだと自分に喝を入れる。
しかし無駄脚を使い続けたツケがまわってきた。徐々にペースを上げて逃げとの差を詰めていく集団から、8周目の二段坂で遅れ始める。初めは10m程の差だったのがみるみる開いていき、下った先で完全に見失う。ここで完走は消えた。
あとはもう切られるまで全力を出し切るだけ。パンクで遅れていた宮崎の内田さんが頑張ろうと声をかけてくれ必死で回す。自分の方が脚がなく何度か遅れながらもついていき、10/13周で赤旗
最後まで足りなかったのは、脚よりも走り方。特に今回はコース変更もあって、前にいなければどうにもならないとわかっていたが、その技術が自分には無かった。去年半分弱でDNFして以降、就活とその試験勉強を言い訳に自分の生命線だった練習量が減り、レースに出ても経験値を得るレベルの走りができなかったのが最大の敗因。もちろん、上手く走れたとして本当に脚が持ったのかはわからないけれど。
だが裏を返すと、ここまで走れたのも初めて。酷すぎた春のレース以降、進路が宙ぶらりんの状態に迷いつつも、ここで自転車に乗らなきゃ後悔すると練習時間を増やし、特に6月からの3ヶ月は走行距離6300km、本当に乗れるだけ乗った。去年脚攣りと補給で失敗したのは、1年かけてサドルを後ろに引き、計算通りのカーボローディングと粉飴ボトル×2に、4周目から2周ごとにジェルを摂ることで解決。パワーも上手さもない自分が、練習量と諦めの悪さだけを頼りに走った通りの結果だったと思う。
ここまで競技を続けてくるのに、本当に多くの方々からご支援、応援をいただき、感謝の気持ちでいっぱいです。MichelinのタイヤやKASKのヘルメットなどを提供してくださる日直商会様。決戦ではPOWER以外考えられないというくらい最高のタイヤでした。行く度に自分が頼んだ以上の整備をしてくださったGS ASTUTO様。軽くて速いフレームとホイールは僕の自慢です。フィッティングでお世話になったスポーツバイク・ハイロードの青山OB。テストを重ねてたどり着いた今のサドルは一生変える気はありません。そして、練習メニューの作成やデータ解析で支えてくださったBlue Wych様。柿木克之様は何度も練習に足を運んでアドバイスをくださり、困った時は電話やメール、面談で相談に乗っていただきました。柿木さんの安心感がなければ、自分はここまで続けてこられなかったと思います。
また、ほとんど全てのレースに来てくださり、厳しい言葉をかけてくださった三宅監督。最後まで監督が求めるものを掴めなかったのは残念でなりません。お忙しい中遠方での役員を務めてくださったOBの皆様。おかげさまで最高の舞台で走ることができました。いつも名前を呼んで応援してくださった小藤OB。諦めそうになった時に何度も小藤さんの声に励まされました。
さらに、福島合宿からサポートまでフル稼働してくださった谷さん。練習や試合がうまく回るのはもちろん、チームを明るくしてくれたのも谷さんでした。監督代行としてこれまで何度もレースや練習に来ていただき、激励してくださった洋和さん、移動で助けてくださった水田さん、今回もサポートに協力していただいた1個上の先輩方と同期の加藤。最後くらい良い姿を見せたかったです。最後に、山田、千葉、依田を筆頭に深夜早朝問わず働き通してくれた後輩たち。おかげで何の迷いもストレスもなく臨むことができた。本当にお疲れ様。
さて、4年生のインカレを終えてこれで引退の運びですが、最後まで結果で恩返しができなかった悔しさは抑えきれず、全て終わったとも思えません。やり直せるなら1、2年生のうちから今の練習に取り組んで、トラックの基準もすぐに切ってポイントレースでスキルを磨いて…と言いたいところですがそれは無理。でも社会人になるまであと半年、自分としてもまだ何かやれるし、自分よりよっぽど強いはずの後輩たちに壁を破ってほしいというワガママもあります。そのためにもう少しだけ続けるかもしれません。数日後に違う名義で日記を書き始めたらそういうことだと思って大目に見ていただけると助かります。これまで本当にありがとうございました。

平山大生