UTokyo bicycle racing team

秩父宮杯 結果18位/59人

(純粋な)学生時代は、インカレ後の9月は、ツーリングに行くか自転車から完全に離れるかのどちらかだった。この時期にレースに出場するのは初めてのことである。インカレの後は、やる気が一層出る人もいれば、脱力感に襲われてやる気が全くでない人もいると思うが、僕は100%後者のタイプだ。秩父宮杯を申し込んだことをひどく後悔した。だから、「選択をする時、つらい方を選べば、必ず後悔しない。」という法則を適用して、「朝起きるor起きない → 起きる」「レースに出場するorしない → する」「レースで頑張る or 頑張らない → 頑張る」という消去法的な決断をひとつひとつ下してレースに辿り着いた。
このレースは梅丹が参加するのでハイペースになると予想し、通常よりアップを入念に行った。1周した試走では坂で追い込み、駐車場のある秩父ミューズパークの坂でも追い込んだ。レースが75キロと短いこともあって、レーススタート直後にペースアップしても余裕を持って耐えられるように、体力と脚を消耗するくらいアップをした。
コースはパレード走行区間秩父駅〜周回コース)と周回コース(6.5周)から成る。周回コースは、2つの連続する峠(100mと30m程度)+平地。平地区間には坂もあるが、どれも平地の惰性で上れるものだった。
秩父駅前で盛大な式典が行われた後、レースがスタートした。パレード走行は至って平和だった。落車の危険は全く感じなかったし、スピードの急減速も全く無かった。沿道や周りの景色を見て楽しみながら走った。
周回コースに入ってすぐレースはスタートした。最初の上りからスピードが上がる。しかし、入念なアップのお陰で難なくメイン集団で通過した。2周目の平地区間では、僕の前の2人が車輪を接触させた。集団内で声があがるが、少しよろけた程度だったので大惨事には至らなかった。レース全体を通して、平地区間では梅丹が何度もアタックを掛ける。ただし、集団のペースを活性化するためのアタックだったと思う。最初のうちは何度かチェックしていたが、あまりにも頻度が多いため、後半からは見届けることにした。ラスト3周目の上り前の平地で梅丹がアタックをした時、一人はついていったが、他は追わなかった。アタック乱発の効果だろう。直後の峠を上りきった時、先頭の2人が前方に見えて集団先頭には僕と東工大安藤がいた。しかし、追えなかった。結果的にこの逃げが決まったと思う。この頃から自分の限界が間近に迫っていることを感じた。ラスト2周目の上りは集団から20m程度離されたが、下りで何とか追いついた。ラスト1周は地獄だった。満タンだったボトル2本が空になり、頭がふらふらし始めた。集中を切らしたら絶対に倒れると思ってレース以外の一切の思考を停止してレースのみに集中した。峠ではペースアップに伴いメイン集団がバラバラになる。体力も脚も精神力もすべてが限界だった自分は遅れる。安藤がどんどん離れていく。実力差ってこれなんだなと思う。遅れた者同士で4名の小集団でゴールスプリントをして、3人の後ろ姿を拝んでゴール。
インカレでは163キロを想定して走って95キロしか走れなかったのである意味全力を出し切ることが出来なかったが、今回のレースではすべてを出し切ることが出来たため、インカレとは違ったレース後の満足感を味わうことが出来た。また、係員に降ろされる声とは対照的なゴール地点での歓声を聞くことが出来た。自転車レースの楽しさを再発見することが出来たレースだった。インカレ後の脱力感から抜け出すヒントを得た気がする。
しばらくはレースに参加しない予定です。でも、最低限のトレーニングは続けたいと思っています。
最後に、北海道に参加する人・山形村に参加する人・トラックで走る人、頑張って下さい。9月は実習がぎっしり詰まっているため、茨城から蔭ながら応援しています。