UTokyo bicycle racing team

長文失礼。
最後のインカレ。ちょっと寂しいこの響き。修善寺CSC5km×28周=140km
今日はとにかく目立たないように走って20周目以降は1周ずつ踏ん張る。西薗のサポートはほどほどにして自分の完走を念頭においた。しかしながらしかるべきペースアップに備えて先頭付近に陣取ることには変りはない。
スタート前にOBのヒロキさん、今井さん、山崎さん、新藤さん、杉浦さんが現れた。すごい勇気をもらったしいいところを見せようと思った。
パレード後例によって速いペース。セーブして走りたいという目論見はまんまとはずれてしっかり踏んでいかないとついていけない。2周目か3周目の秀峰亭で数人の先行に東がジャンプ!自分もすぐ追える位置にいたがここは東に任せてジャンプしない。秀峰亭後集団ペースが落ちて逃げが決まる。
集団はペースが落ちて淡々と周回を重ね差は3分にまで広がる。11周目あたりで急に鹿屋が先頭付近に集まりだしてやばい雰囲気に。ずっと集団内にいた西薗もこれをかぎつけて前へ。多少のペースアップがあったもののわりと穏やかに沈静化する。その後14周目あたりのホームストレートで法政5人が先頭で隊列を組んでいてきれいだなーなんて思っていたら一号橋後の上りでふわっと3人がアタック。これは絶対危険!と思ったら西薗は集団内にいたうえ自分も追う脚がないので逃がしてしまう。ただ日大や鹿屋もさすがにやばいと集団を引きはじめたのでわりと差が開かないまま結局つかまる。この辺でもまだ三谷がしっかり残っていた。時系列を覚えていないが、確かこの辺で逃げからこぼれた東を吸収したのと、鹿屋伊藤選手のアタックに自分が二番手でべた付きして脚を使ったことがあった。逃げから50秒差まで詰まったあと再び集団のペースは落ちた。今日一つ気になった点の一つだが、補給を取りに行くときに右に寄っていくと後ろから他の選手がひゅーっと入ってきてもらえないことが何度かあった。その後集団の最後尾から前方に上がるまで脚を使ってしまった。あそこをうまくやれば脚をセーブできたか。
1分30秒差程度ついたまま20周を迎えそろそろ追うムードに。未知なる領域20周目を堪能していたら西薗に「そろそろ追いたいんでローテに加わってください」と言われたが「いやいやもう脚がありませんですな」と回答。ここまできても立教慶応信州首都大東海東工などが残っておりきついけど彼らには負けたくないぞ、と思う。そして22周目に西薗自らガン引きを開始。ペースアップ自体にはついていったもののそのペースが落ちないのでやがて切れた。。
さて、ここからが第二ラウンド。完走目指して動かない脚を引っぱたくの巻。切れたとき阪大角谷選手と日大が前方に見える。上りで遅れて下りで追いつくを繰り返しやがて置いていかれる。続いて後続列車は東工大中村選手他一名。上りが完全にダメで駆け込み乗車失敗。さらに、北大京大徳島の藤井選手が来たがもはやまともに踏めず上りで付き切れ。彼らは集団のペースアップにはついていけていなかったわけだが最終的に抜かされた。ペースアップに死ぬ気でついていきすぎて切れたあと動けなくなるのは結果的に自分の悪い癖だと思う。余力を少しだけ残しておいて彼らのようにイーブンで延命する選択肢もある。北海道ではむしろこちらが大事だろう。
脚が終わりすぎて秀峰亭を上ることが出来ない。でも応援もあるので這って上る。アタックへの応戦で四頭筋が終わっているのはもちろん、ダンシングしようにも尻の筋肉もないしハムストもご臨終。ふくらはぎは今にも攣りそう、というか攣っている。そして志半ばにして25周目の途中で降ろされた。インカレは終わった。121.9km, ave31.1km/h, 3h55min max77.1km/h

降ろされた場所で応援していたら最後にCOMカーの人が、東大優勝だよおめでとうと伝えてくれた。西薗は強い。この時代に一緒に走れてうれしいしこのおかげで自分の能力も断然伸ばされていると思う。
まっさきに院試や期末を控えながらもサポートしてくれた部員に本当に感謝します。みんなの思いをここに集結させたことは何物にもかえられないと思います。後輩には次は自分が主役になるぞというつもりで地道に練習を積み重ねていってほしいです。またOBの方々、柿木両コーチにも大変お世話になりました。ありがとうございました。