UTokyo bicycle racing team

インカレロード 長野県大町美麻村 163.8km(12.6km×13周)
結果 8周目DNF(1つ目上り頂上 96km地点)

 最初に、インカレを走るにあたって支えて頂いた、監督・OB・サポート・チームメイトの皆さま、そしてすべての関係者の皆さま、本当にありがとうございました。また、インカレに至る過程で、練習をともにしてくれた東大・東工大・駒沢大の皆さまにも、この場を借りてお礼を申し上げたいと思います。ありがとうございました。レースは実力不足のため結果が残せず悔しい思いをしましたが、自分の力を出し切ることが出来たと思っています。今はとても満足した気分とともに、感謝の気持ちでいっぱいです。

 私は今年4月に社会人留学生として東京大学大学院に入学し、自転車部に入部しました。社会人5年目で学生に復帰するとともに自転車部活動にも復帰しました。そして、この約半年間、インカレ完走のみを目標として自転車活動を行ってきました。大学院を卒業して自転車から離れた4年間のブランクは思いのほか大きく、復帰当初は全く満足な走りができずフラストレーションが溜まる一方でした。また、私が所属している専攻はキャンパスが茨城県那珂郡東海村にあるため、ほとんどチーム練には参加できず、今までの自転車経験と周囲の方の助言を基にして一人で練習を行ってきました。さらに、学連レースの参加は最小限に絞らざるを得ませんでした。インカレを想定して自分の実力を確認するための旧門田杯、インカレの出場権を得るための白馬クリテリウム、そして本番のインカレの3レースのみ。しかし、東大自転車部から様々な刺激を受けながら練習を続け、何とかインカレに挑戦することができました。時間と場所の制約のもと、最大限の結果を追い求めた結果が今回のレースでした。

 日頃の練習不足という点を除けば調整は万全だった。スタート2時間前には会場入りして女子のスタートを見て、それからゆっくり準備を始めた。スプロケが緩んでいたというトラブルがあったものの予定どおりにスタートを迎えた。
 レースはパレード走行で始まったが、一般的な「パレード」のイメージとは全く違いとても過酷で精神力を消耗するパレードだった。いつ落車に巻き込まれてもおかしくない状況が延々と続いた。「後の祭り」とならないためにパレード走行をしているのだが、今振り返ると「祭り」がもっとも危険だったように思える。ただ、自分の今の実力だと前方に位置取りをしなければスタートと同時に振るい落とされるのは明白だったので多少のリスクは覚悟で前に詰めた。
 1つ目上りの頂上付近でレースはスタートした。スタート直後に直角カーブがあり集団が伸びた。そして、直角カーブ後には猛然とダッシュ。ここからゴール地点までは全力だった。心肺機能は限界を迎えていたが、ここでレースを終えたくないという気持ちのみで走り何とか集団に留まることができた。2周目の下りはとことん休む。これから訪れるであろう地獄に備えてふくらはぎのストレッチと体温の冷却を行う。大集団だったのでエアロ姿勢はとらずに表面積を大きくして冷却効果を最大にして下る。2周目の1つ目の坂は自分にとっては異常なペースだった。案の定、頂上付近で千切れる。しかし、集団が分裂したというより、直線が破線になった感じだったので、先頭のペースが落ち着くと同時に集団に復帰することができた。3、4周目は一転、ゆっくりしたペースだった。集団前方には西園・高木がいて、東の姿もあった。このペースが長く続くことを祈るとともに、突然現れるであろうペースアップを警戒しながら走った。僕が昔走ったインカレは、日大が集団前方に集まった時がペースアップのシグナルだったが、今はもっと複雑なようだ。5周目に入ってもゆっくりとしたペースが続いたが、最後の激坂で一気にペースアップした。心肺機能が追いつかずに、ずるずる後ろに下がっていく。序盤は集団後方が定位置の東工大安藤に抜かれる。上り終わるころには集団から完全に離されていた。下りで追走を試みるも集団の姿を二度と見ることはなかった。この時、集団から完全に千切れたことを自覚するとともに、集団で5周しか走れずに完走するのは不可能であると悟った。ここからは完走を目指すのを諦め、1周でも1mでも長く走って自分がこの半年間やってきた証を残そうと心に決める。6、7周目は同じ位置で千切れたであろう人たちと周回を共にする。中央大の人が脚質が似ていたので長く一緒に走った。そして、8周目の一つ目の坂を上った所でレースから降ろされた。千切れてからはサポート・観客の声援がよく聞こえ、残りわずかとなったインカレを苦しみながらも楽しんで走った。特に、激坂中盤で応援してくれた岩崎さん、激坂前で毎周回「石川さん、補給は?」と声を掛けてくれたOB連合サポートの声はよく聞こえた。また、降ろされた地点からゴール地点までジャージを裏にして自走で帰ったが、「お疲れさま」の声援がとても暖かかった。沿道の地元の方々の応援は最高だった。

反省点
 スピードの変化に対応できなかった。常に監視された状態(バンクなど)で追い込んだ練習が必要だと思った。

これから
 調子を維持しつつ、レースに参加する。