UTokyo bicycle racing team

TRS@伊豆ベロドローム
個抜き:宣言通り15秒切ったけど、もし日体倉林選手と走っていたら2回抜かされていたm(_ _)m5分は選手権で戦える最低ラインなので、7月のTRSに出場できたら是非狙いたい。
ポイント:クラス2を53*15で走る。結果的にギア選択は奏功した模様。一回目のポイント前に抜け出した4人に単独ブリッジしたが、スプリント時に前の選手のレーン不保持でハスって盛大に落車。あー痛いなーとゴロゴロしてたら監督が「ニュートラル使えるよ」とおっしゃったので驚くほど冷静に復帰。再出走後が良くなかった。状況を俯瞰せずただ中切れを埋めまくったりしてたら終了。ハンドルも曲がってたし、まあ今回に関してはしょうがない。ミドルパワーの効果を感じられただけでも収穫があった。トラックレースはやはり種目毎にピンポイントにそのためだけの練習を積むことが唯一解なんだな。あと、ベロドロームで転ぶと木片が皮膚にサクサク刺さるというのは本当だった。
修善寺カップ
お尻を擦りむいていたため最悪の睡眠。修善寺は全く自分向きではないが、このレースはとにかく15周あたりまで集団にいないと完走できないので死ぬまで食らいつく所存だった。右肩を強打していたので頼りの”ごまかしダンシング”が上手く使えないが、50番手辺りで初めの3周をこなしていたら集団は早くも半分くらいに。「あれ、これいけちゃうのか?」と考えていたらペースは緩まず。あれよあれよのうちにスタートからずっと高かった心肺が限界を迎え5周目序盤で集団から千切れる。頑張っている数人の集団が後ろからいくつも来たが、完走しなければ意味が無いので見送って1人で数周たらたら走って終了。このコンディションではこの程度が関の山だったか。
今回のレースでなかなかペースが緩まなかったのは、プジョーとエカーズが序盤から逃げをつくろうと前方で展開し続けたからだと思う。実際彼らのみで形成された逃げが決まった7、8周目辺りからある程度ペースは落ち着いていたし。その後意外と疲労した実業団勢に対して力を残した一部の学連勢がブリッジしたりするという後手の展開。結局逃げはメンバーを替えながらも一度も吸収されることも無く終了。例年は日大法政などがふるい落としの主導権を握っていたから、実業団が動いた今回はそれ以上に過酷な展開になったのだろう。
修善寺はもっとも誤摩化しのきかないコースのうちの1つ。いろは坂のような心肺に負荷のかかるインターバルトレーニングばかりを集中的に行うのが正解であることが、浦の活躍で証明されたと思う。このように各レースには明確に対策が存在する、ということをしっかり意識して狙う試合に備えていきます。個人的に6月は個人ロード(と、もしかしたら全日本選手権のポイントレース)を大きな目標にします。
最後になりましたが、今回サポートしてくれた4人、運転手の皆さんありがとうございました!