UTokyo bicycle racing team

ツールド北海道・プロローグ
ステージレースのプロローグは恒例の個人タイムトライアル。自分は開会式後ほとんど時間がなかったためにアップは不十分だったが、距離が短いこともあって64位/95人だった。ゴール後は一時的に暫定4位だったのには少々興奮した(あと少しでシートに座れた笑)。結果的には2010年インカレチャンプと同タイム。次のステージへ向けて弾みのつく一日だった。この日は計画通り。

ツールド北海道・第一ステージ218km
自分の目標はオロフレ峠を越えてモエレ沼にたどりつくことであったので、このステージは完走はもちろんのこと、無駄足を一切使わないことを考えていた。できれば完走者で最も楽をすること。自分の脚でモエレ沼に行くにはこれが唯一の解だった。この計画は190km地点で見事に玉砕されるわけだが・・。
コースは中山峠が400mアップ、あとは200mアップが一つあるくらいで、あとは基本的にまっ平らなコースだった。懸念されるのは80km近くある横風区間。昨年のように横風で集団が木端微塵になると厳しいレースを強いられるだろう。
レースでは昨年の反省も踏まえて集団のなるべく中心にいた。コーナーのある市街地を抜けてからは集団の中心が最も少ない出力で走ることができる。ポジションを上げる時には右からざーっといく感じ。ただし最前方はヒエラルキーの頂点であり、東大は肘パンチや蹴りを喰らって危険極まりないため、ある程度前方くらいにしておく。走行中も草木や旗、風力発電所を常にチェックし、風向きを考えて精密にポジションを変えた。5時間30分の長丁場であったが、非常に良く集中していた。北海道特有の超高速ダウンヒルも命を失わず無事にこなすことができた(あのスピードで車間調整するにはブレーキクリアランスは狭くすべきと痛感し、レース中に狭めた)。
逃げも決まったためにアタック合戦もなく(これは正直神頼み)、なんとか良い方向の計画通りにレースは進み、残り30kmに。自分は慢性的な疲労で脚が動かなくなると感じる時、実は脱水やエネルギー不足であることが多いため、今の自分の体の状態、そしてレースの状況を考えてこのタイミングで審判から水を受け取ることにした。集団後方に下がり、審判から水を受け取る。ボトルを片手にひっかけて持ちながら、集団に復帰した時、目の前で悲鳴とクラッシュ音が・・。片手がふさがった自分は急に止まることができない。
なすすべなくそのまま突っ込む。激突のショックで水平方向のモーメントは消滅し、自分は縦に一回転してコンクリートに後頭部から叩きつけられる。
ヘルメットは真っ二つ。軽い脳震盪を起こしたみたいで頭がガンガン+ボンヤリする・・。
・・急に目の前に飛び込んできた北海道のきれいな空と雲・・。
立たないと・・立たないと・・

とりあえず打った頭がかなり痛いのと、腰と手首を強く打ったのでダンシングができない、ハンドルがしっかり握れない状態。サポートカーの隊列にまみれて集団復帰を試みたが届くことはなかった。明日もあるので脚は使わないように心がけたものの、それでも落車後の追走で相当脚を使ってしまった。完全な無駄足である。その後はグルペットを作って84位で完走したが、この落車が第二ステージに大きく影響を及ぼしてしまった。悔やまれるレースだった。ただし悔やんでいるわけにはいかない。翌日もあるのだ。擦過傷がないことは運がある証拠だ。無駄足もほとんど使っていないと自分に言い聞かせて寝た。

教訓(もう活かすチャンスはないのだけれど・・):いかなる時も危険回避を考えて受け取ったボトルはすぐにポケットへ入れるべきだった。もしかしたら落車を避けることができたかもしれない。

ツールド北海道 第二ステージ186km
昨夜はレース中止の夢をみた。が、ここは現実。今日は総標高差3000mの最難関のステージ。自分はレース序盤の300mアップのあと900mアップするチセヌプリでリタイアしました。あのレース中のきつくなり方は正直アップが足りていなかったと思う。これはどこかで聞いたステージレースはアップがほとんどいらないという話を過信した自分のミス。序盤からいきなり峠があったのに・・。また、連日の練習の場合自分は開始2時間くらいなかなか調子が上がらないのだ。こうした特性を踏まえてもせっかくの大舞台で非常に馬鹿なことをしてしまった。ただし・・時間は戻らない。

悔しい想いを抱えてバスで回収され、バスの中で色々なことを考えていた。ただ、やっぱり引退の2文字は出てこなかった。悔しいまま終わりたくないのだ。10月は相当忙しいので規則的に練習はできないと思うが、11月は朝方でなんとか練習し、六大戦ロードに勝って引退したいと思う。
10月1日 ツールド北海道後、大学院の中国研修を終えて