UTokyo bicycle racing team

ツール・ド・北海道2015
奇跡的に出場が決まったこの試合。これまで味わった悔しい思いを晴らす絶好のチャンス。そして引退前最後のレース。
とはいえ大会直前の1,2週間の練習だけで力をインカレDNFレベルから北海道完走レベルまで伸ばすのは現実的ではないので、練習と並行してそれ以外の面も徹底的に詰めた。
自分は特に長距離ロードレースでは脚が攣って集団から脱落することが多いので、クリート位置をかかと寄りにして特によく攣るふくらはぎの筋肉を使いにくくし、ストレッチで関節の可動域を広げサドル位置を動かすことで大臀筋をメインに使えるようにし、また補給はMeitanのツーランとカリウムマグネシウム含有のザバスピットインリキッドとスポーツようかんを用意。さらに大会期間中はレース中もレースしていないときも意識して水分を多くとった。これで攣ったら素直に実力が足りなかったと諦めもつく。
大会2日前に北海道入りし、ステージの要所を車で下見。十勝岳の下りだけは自転車で試走した。パスタをおかずに白米を食べるカーボローディング生活も開始。準備は万端。

9/11 第1ステージ 旭川市〜東川町 188km
コースは前半が平坦基調で、後半は細かいアップダウンが続く。途中2つのKOMの勾配も5%と緩めで難易度の高いステージではないが、なんといったってUCIレース。完走できる自信は正直五分五分。
レースはスタートしてすぐに逃げが決まり、サイクリングペースに。途中で落車があったが片足のクリートを外して切り抜けBSアンカーのフランス人の後ろについて楽に復帰できた。
ふー危なかったとか思ってたらその後の平坦路でどこかのチームが逃げとのタイム差を埋めはじめペースが上がる。集団内で耐えてたが、学連レースのノリで緩んだスキにポジションを上げようとするとプロチームに押しのけられ入れてもらえない。正直脚よりもこっちの精神的なダメージの方が大きかった。。
KOM2つはちょいキツイぐらいで楽に越えられた。まわりの選手より少し余裕を保って登れてることに気づいてちょっとテンションが上がりどんどんポジションを上げたりした。
しかしその後のアップダウン路で集団はさらにペースアップ。何個目かの丘でちぎれてしまうがまわりに選手が数人いたのでまとまる。後ろから生駒が追いつき前から浦が降ってきて東大3人がいる10人ほどのグルペットで25kmほど走り先頭から8分遅れでゴール。180km越えのロードレース初完走でわりと嬉しかった。脚はちぎれる直前にもがいたときに大腿四頭筋がピキッときたぐらいで攣ることもなかったので良し。登りに多少余裕があってもその後のことを考えてできるだけセーブするように走ろうとだけ反省し、パスタをたくさん食べ脚にリカバリーオイルをたっぷり塗って寝た。

9/12 第2ステージ 美瑛町美瑛町 162km
今大会最難関のクイーンステージ。途中に800mUPの十勝岳を含む山岳162km。とにかくこの日を乗り切れば完走できると心を奮い立たせ出走。
しかし前日うまく眠れなかったことが響いたのか、開始5kmの直角左コーナーで落車。この日だけでなく3日目も連日の疲れや緊張による寝不足で試合中何度か危ない走り方をしてしまい、周りの選手には迷惑をかけてしまった。すみませんでした。
立ち上がってすぐに確認したが、幸いなことに体・自転車ともに影響なし。チームカーの車列を使って集団を追いかけるが、ペースが上がってるのか全開に近いパワーで追っているのになかなか追いつけない。20kmほど走ってようやく追いついたが、集団はやはりペースが上がっていて一瞬でちぎれてしまう。
十勝岳までできるだけ力を温存しようと決めて出走したのに落車したときには軽く絶望したが、十勝岳の前でちぎれている状況にさらに絶望。しかし走るしかない。何度も心が折れたが沿道の応援を糧にして追い続け、サイクリングペースまで落ちていた集団になんとか復帰。奇跡だと思った。
そして徐々に不穏な空気に変わっていく集団とともに十勝岳の麓へ。序盤からハイペース。すでに脚を消耗している自分にはきつくすぐにちぎれてしまう。
少し前にちぎれた選手が何人か見えていたが、この坂で無理に追うのは後半もたなくなるリスクが高いので自分のペースで淡々と登る。追いついてきたチャンピオンシステムの選手がいい感じのペースを刻んでいたのでこれにくっつく。ダンシングも混ぜながら無心でついていき、頂上を迎える頃には10人ほどのグループに。
下りはアイサンの選手に主に引いてもらい、その後は均等にローテ。平坦の2列ローテや最後のKOMやちょっとした丘がきつく何度かちぎれかけたが、あと1kmだけ長く走ることだけを考えてもがいて乗り切る。
そして・・なんとか先頭から15分差でゴール。十勝岳の頂上で14分差だったので半ば諦めかけていたがこれは逃げとのタイム差で、その後は開き続けたわけではなかったためなんとかなった。最初から最後まで昨日の比じゃないほどきつい地獄のような1日だったが、なんにせよこのステージを乗り切った!

9/13 第3ステージ 旭川市〜札幌モエレ沼公園 200km
いよいよ最終日。最初のKOMで総合の逆転を狙うチームが攻撃してくる可能性があるのと、中盤の勾配は緩いもののかなり長い丘が注意ポイントだが、基本的には平坦基調のステージ。雨と距離さえなんとかなれば札幌への道は開ける。前日の疲労に蝕まれた精神を和泉に借りたWalkmanで奮い立たせる。
案の定最初のKOMでアンカー勢が攻撃を仕掛け集団はバラバラに。後で知ったが西薗さんだったらしい・・ペースがえげつなかった・・。外人選手がおしゃべりしながらちぎれていくのを見て、このあとで緩むんだろうと予想し、それでも集団から遅れすぎないようにペースで登りきって、下りで集団復帰。同じくちぎれていた浦と一緒に胸をなでおろす。
その後はサイクリングに。楽なのでありがたいが朝から降る雨でかなり冷えて寒い。
今日はもうプロ選手に押しのけられるのは嫌なので集団の後方(というか最後尾)で生駒か浦の後ろについて走ることにしていた。チームでまとまってると周りも譲ってくれるし。
やがて集団のペースが徐々に上がり始める。途中コーナーが連続する地帯があり、本当なら前の方でクリアしたいところだがそうもいかないので後方でひたすら耐える。悲鳴をあげる大腿四頭筋をなだめすかしながらなんとか抜け、長い丘へ。
大臀筋を使って登りたいが、この2日でもうスカスカ。集団後方特有の加減速も相まって我慢の時間に。170km地点のKOMまで集団にいれば完走は固いと信じて170kmまでの距離をひたすらカウントし続けて乗り切る。
そしてKOM。ペースはやや上がる。ちぎれる選手もちらほら。どこから湧いてきたのかよくわからない力でなんとか集団内で乗り切る。
そして札幌までの平坦路へ。スピードは上がり続け、残り20kmのところで耐えきれずちぎれる・・。
そこからはなんとかグルペットに入り距離を消化していく。残り15kmの看板を見たときの「これから家から大学行くぐらいの距離走らないといけないのか・・」っていう絶望がやばかった。
しかしそうこうしているうちに5km、4km、3km、2km、と距離は減っていき、そしてついにモエレ沼公園!!ここで一緒のグルペットにいた生駒と顔を見合わせ思わずニヤリ。
最後の直線は一人でゆっくり走った。この時間が永遠に続けばいいのにと思った。ガッツポーズでもしようかと思ってたけど、胸がいっぱいで腕も上がらずそのままゴール。
ようやく何かを成し遂げられた。ここまで長かった。3年目のインカレは自分でもかなり自信があったのに体調不良とメカトラでDNF。直後のトラックレースで落車してから調子がおかしくなりITTは1年前よりひどいタイム。さすがにこれはおかしいとカイロプラクティックで体の歪みを直してもらい、練習を積んで3月の神宮ではグループ1でゴールスプリントまで絡めた。
なのに・・・ここから長く体調が安定せず練習もままならない日々。あっけなく終わった個人ロード後にそれでも頑張ろうと決意したのに直後の練習で事故って前歯骨折。もう自転車が嫌になって1ヶ月練習しなかった。
それでもチームメイトや先輩方、そして他大の同期が引き留めてくれて、練習を再開したのが7月も半ば。さすがにインカレはダメだったが、なんとか北海道には間に合った。本当に自転車を続けてよかった。自転車がいい思い出で終わることができてよかった。自分のDNFやゴールを見て泣いてくれる先輩・後輩をもつことができた自分は幸せ者だ。
結局ただ集団にぶらさがって完走することしかできない選手どまりで、思い描いていたような強い選手になることができなかったし、もう少し力があればロードレースも走ってて楽しいと思えるのかなと少し後悔。けどこればかりはどうしようもないか。自転車を通じた失敗の経験を今後の人生に活かせたらと思う。
このような舞台に立たせてくれたOBの方々、北海道まで応援に来てくださった恒松OB、小藤OB、宮崎OB、水田さん、連日チームカーの運転からサポートへの指示までしてくださった監督、3日目は走れない悔しさでいっぱいだろうにサポートしてくれた秋山・貫名、ボトルを提供してくださった日直商会様、PowerGelを提供してくださったPower Bar様、EC90を貸してくださった中村謙太さん、スプロケを貸してくださった都倉さん、東京から応援してくれたみなさん、連日連夜怒涛の働きをしてくれた谷さん・和泉、そして何より今回一番働いてくれたであろう植田、本当にありがとうございました。
自分はこれで引退です。引退後も自転車続けたりするのかなとか思ってたけれど、こんな地獄のようにきついスポーツはもう金輪際やりません・・とかいって、時間がたったら性懲りも無くまたレースにでたくなってるかもしれません。笑 後輩の皆さんそのときは暖かい歓迎をお願いします。
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以下個人的にはなりますが、今まで応援・支援してくださったOBの方々、練習メニューの相談に乗ってくださったBluewych柿木克之さん孝之さん、Michelin Pro4をはじめとする素晴らしい製品を提供してくださった日直商会様、デザイン性と高い機能を兼ね備えたBollé社製サングラス6th Senseを提供してくださったブッシュネル・アウトドア・プロダクツ・ジャパン様、北海道に連れていってくれた最強の同期浦、なぜか入部当初から馬が合い後輩の中で一番仲良くしてくれた和泉、部の裏方の仕事を支えてくれた福田、他の女の子と間違えて勧誘したっていうクソみたいな始まりから部車の危機を救ったり北海道の総サポートを務めるまでになった最強のマネージャー植田、いつ行っても暖かく歓迎し自転車を完璧に整備してくださったなるしまフレンド小峰さん、毎週末のレースにきてくださり親身にアドバイスしてくださった三宅監督、引退してからも研究の合間を縫ってサポートや応援に来てくださった谷さん水田さん、何度か事故して救急搬送されるたびに心配をかけそれでも最後には部活を続けることを支援してくれた両親、他大の同期として一番仲良くしてくれ、また自転車を再開するきっかけをつくってくれた慶應の朝比奈、そしてその他自転車を通じて出会うことのできたすべての人に感謝しています。