UTokyo bicycle racing team

ツールド北海道の報告です。
第一ステージ
下りが90km/hにもなるというこのレース。行きのフェリーではそれにガクブルしながら向かうも実際に試走してみたらカーブがゆるく、そして道も広く路面もよい。下りで苦労することはないだろう。おまけに例年長い登りは楽だという監督のお言葉もあり、集中切らさず落車さえしなければ完走できるだろうと気楽に臨んだ。
当日は雨。しかし開始時刻には小雨になり涼しいくらいの気温でスタート。はじめの緩い登りで300後半とかの数値がバンバン出ておりまだ開始数キロとかなのに大丈夫かなあとか心配に。10キロくらいでひとまず落ち着いてきたものの、右鋭角カーブで谷が落車してたのにびびり最後尾付近で大減速してしまい集団から離れてしまう。たまたま同じ位置にいたシマノ入部さんに下り区間で引いていただき少々距離を詰めるも、復帰しないまま最初の大きな登りにはいってしまい少々もがくはめになった。
逃げが決まり落ち着いたペースでこの登りをこなし下ってチセヌプリの上り口へ。ちなみにここまで林は臆せずずっと集団前方をキープしていた。脱帽。そして山形さんが集団から飛び出し追走をかけている。脱帽。ここも快適なペースのまま登り始め、僕含め後方にいた学連選手もわらわら前方に出てきた。
上り口から数10分くらいか右側からアンカーの選手がかけていき、集団がペースアップ。対向車線までいっぱいに広がっていた集団が細長くのびる。まあじきに緩むでしょうと思っていたがなかなか緩まない。ペースが落ちないまままだ頂上まで10kmあるところで自分はちぎれた。ただあせらず周りを見てみるとシエルヴォの箭内選手(法政)らが近くにいたので、気持ちを切らさず数人でぎりぎりのペースでまわす。少しすると同じくちぎれた浦などがふってきて回収してグルペットの人数を増やしていく。頂上につくころには結局10人前後くらいになったか。この時点で確か集団から3分差と告げられた。
下りは浦が先頭でガン踏みし、ここからちぎれたら本当に終わるので怖がらずついていく(怖がるようなコースレイアウトではないのだが)。淡々とまわして補給所へ。中村から山形さんと1分半差という情報を聞く。しばらくして単独の山形さんに追いつく。そしてふと後ろを振り返るとチセヌプリでいなかった林が追いついてきた!こうして東大グルペットが形成された!!
他の選手もきつくなっていったようで次々にグルペットの人数が減り、100km地点くらいでは東大の4人と順天石原選手、コルバ・スペラーノハムの選手1人が残り、東大チームカーからボトル等の助けを得ながらさらに淡々とまわしていく。自分はここに至る前くらいから何度か「オエッ」と繰り返しえずくようになった。補給はスタート後からしっかりとっていたが胃が受け付けてくれてないのか。さらにあれだけ早朝に降ってたくせに急に太陽がこんにちはしてきて気温が急上昇。発汗量も上がりほぼフラフラの状態に。残り距離や聞いてるタイム差から、正直ここでがんばっても意味あらへんやろ・・・と思ってしまっていた。本当に自分は自転車が好きでこの部活に入ったんだろうかと自問するときもあった。
120km地点くらいでチームカーからボトルをとろうとしたら山形さんもとろうとしていて、自分は正常な思考がもはやできず山形さんの進路を妨害するような動きをしてしまった。すみません。そして自分もとろうとしたら「もうないからグルペットの人に分けてもらえ」とのこと。自分はもう嘔吐や脱水で虫の息だしグルペットのペースを下げてしまいそうだしそもそもこの集団でがんばったとこで完走できる確率はかなり低そうだしとかいうことが頭をよぎり、チームカーがそのまま前方に離れていたグルペットの方にいってしまったところで自分は完全に遅れた。
救護車がきて水を500mlもらい、さらに空のボトルに水をもう500mlぶん入れてもらい、生理食塩水?も受け取り、ここからはゆっくり走って後ろから箭内選手らを含むグルペットが来てくれることを期待してとろとろ走っていたが、「後方関門車」という札のついた黒い車が後ろをつけてきて最期を悟る。135km地点でタイムアウトを宣告された。
チセヌプリのペースアップが他選手(とくに鹿屋以外の学連選手)にも厳しかったようで20人以上がおろされていた。学連選手の中ではよく残った方なんだなと自分を慰めることしかそのときはできなかった。
結局このステージは浦、山形さんと順天石原くんと外人選手が最終便でぎりぎり完走。そのまま最終ステージまでいってくれた。山形さんのゴール直前のメカトラは不運だったが、改めてロードレースの厳しさを感じさせられた。
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かつてのインカレ優勝者である偉大な京大OBの小嶋さんはツールド北海道についてこのように語られています。→http://d.hatena.ne.jp/KODIMA/20100918
初めてこの記事を見たのはまだ今年のTTTが始まる前でしょうか。しかしそのときから結果以上に得られるものがあるのだろうなと北海道を楽しみにして日々をすごしておりました(まあ自分は出場にほとんど貢献してませんが)。
自分の結果は第一ステージリタイアというはたから見れば"出るだけ無駄"な結果でありましたが、もだえながらうんうん走った東大4人のグルペットから2人このステージを完走し、そして最後まで進んでくれたことを考えると泥臭いながらこの走りが自分の競技歴至上もっともいい思い出になったと思えてきました。思い返してみれば仲間で走っているという充実した感じがしました。
3年半の競技生活の中で、クラス昇格、TTT上位、選手権完走、東大団抜き記録などそのときそのときの"目標・夢"に向かって、そのときそのときの"仲間"たちと走ったことは思い返してみればとても贅沢な経験だったんだなあと感じました。今挙げた目標たちで達成できたものもあればできなかったものもあり、達成できなかったのはほとんどが僕個人としての目標です。団体種目では安井さんをはじめとした本番でも引っ張ってくださった先輩方がいらっしゃってなんとかやりきりましたが、自分はそうはなりきれませんでした。Bluewych柿木氏のご指導のおかげさまで練習でのパワー値は偉大な先輩方に近づくことはできましたが、結局本番一発あたりの緊張感のなかでそのときがんばる力が自分にはずっと足りなかったような気がします。しかし弱い僕でもこの最後の大舞台で監督、なるしま小峰さん、サポートの中村、中野を含めたこのメンバー、この仲間達で戦ったことは一生の誇り、心の支えになりました!
個人として大きな結果を残すことができなかったのに充実した競技生活だったとか言うとなんだ自己満足かという感じですし、ずっと支えてくださった日直商会様、bluewych様、ハイロード様には申し訳のない気持ちでいっぱいです。それでも支援してくださり本当にありがとうございました。今回の試合で自分は選手生活に一旦の区切りをつけ、結果でお返しするチャンスはもうありませんが、東大にはあと少なくとも2年は残りますのでOBの立場からも部に貢献して責任をとっていこうと思います。自分に今できることは試合での運転と練習で後輩どものサンドバッグになること(ただし自走で是政にいく気力はないのでレジアスが本郷から出るとき)くらいでしょうか。みなさん助けが必要なときは呼んで下さい。
応援にきてくださったOBの皆様ありがとうございました。メカニック小峰さんは浦や山形さんのピンチを幾度となく救っていただき本当に助かりました。来年も東大が出場することになりましたらぜひお願いしたいです。サポートできてくれた中村・中野は夜遅くまで働いてもらってありがとうございました。そして中村1年間主将お疲れ様。
そして監督には様々な形でずっとお世話になりました。厳しくも暖かいご指導が身にしみました。今後はJCFの役員等でさらにお忙しくなると思いますが、お体に気をつけてお過ごしください。
あと、下手したら命を落とす危険もある自転車競技に特に何も言わずに取り組ませていただき、どうしても必要なときにはお金を出していただいたお父さん、お母さんには頭があがりません。普段はあまり感謝の気持ちを伝えることはないですが、この場を借りて伝えさせていただきます。ありがとうございました。
ここには書ききれませんが他にも様々なドラマがあった北海道。得るものは多かったですがやっぱり山形さんのようにレースでもっと多くを学びたかったです。ちなみに自分はチセヌプリのペースアップで中切れを作ったら後ろの某プロ選手に鼻で笑われたのが一番の試合中の思い出です笑(さて誰でしょう?)
後輩のみなさん、仲間たちと競いあってがんばってください。
山形さんや林があまりにも感動的なブログを書くので自分もそれなりにがんばって書いてしまいました。長文失礼いたしました。でしゃばって一番上においてすみません。
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メモ:ちなみに自分はおそらく7~8本ボトルをとってDNFなのに対し浦や順天の選手は大体4~5本で長距離レースは済ませてしまうらしい。そういうところはもっと実走を積むべきなんだろう。