UTokyo bicycle racing team

 全ての分かれ目はあのコーナーで訪れた。普段なら一瞬で終わる落車音が連続してコーナーの向こうから聞こえる。そしてそこに辿り着くと、人間とバイクの山が形成されていた。

僕らはこの日、ついていたといわざるを得ない。もちろん集団内では前に上がっておくことなどセオリーはある。だけどあの強烈な落車を避けられたか否かはそんなことだけで説明できるのか。人生はすべからく不公平だ


シーズンのメインイベントの一つ、個人ロード。昨年運良く完走を果たしていたので、今年は少しでも上の順位で(あわよくば入賞圏内で)完走することを目指す。全日本アマチュア選手権ロードなどで経験を積んだこともあり、自信はあった。まあなんとかなるだろう。

昨年と同じ宿に宿泊し、全ての感触がありありとよみがえる。だけど全てが同じではない。コースを試走した時にかなり昨年より短く、小さなコースに感じたことに自分自身の成長を感じる。

 しかし走り始めると少なくともベストコンディションではなかった。(多分全日本ではかなりベストに近かった)。特にうまく腰が安定せず、重いギヤをうまく踏み切れない。そしてこれだけの距離があるというのに、表示されている超高負荷に周囲の正気を疑いながら最初の数周が始まった。
 序盤どこかでエスケープが決まることは確信があったので、前方に上がり、時折集団を刺激しながら走る。補給を忘れず多めに取る。

 だが、そんな配慮も鹿屋の選手あたりが端緒となった逃げをしばらく観察していて、乗るべきか乗らざるべきか考えた後、距離が離れたので、まあ第二陣辺りを待とうと考えた時に辻本さんが頭がおかしいとしか思えないスピードでぶっ飛んで消えるのに全く反応できなかったところで無に帰した。何人かマーク選手はいたが、辻本さんは一番ゲームを作る人であった。結局予想通り優勝されたわけだが、格の違いを本当に実感する場面だった。後から考えると無理に追わなくて正解だったというのが正直な感想だ。日大の漆澤選手(後に山本選手とぼろぼろになっている彼をパスすることになる。勇気をもって勝負に行った彼に敬意を払いたい)ぐらい強い選手であってもつぶれる最強の逃げ集団。あの中に入っていては完走も危なかったに違いない。

 それからは集団中部以降に下がって、ネガティブ走行になる。後方では野田さんとか高木さん、安藤さん辺りが特に苦もなくついていたので、やはりちょっと頑張りすぎたかと気持ちが暗くなる(このあたりですでに相当サドルソアがひどい)まあ気を取り直して回復に努める。

 10周ぐらいでほぼ前半に動いて使った足は回復した。それにしてもなかなか集団は減りきらない。もう弱い人達は集団にいない。そこにあの事故が起きた。

 集団前方から1/3の辺りで超巨大落車発生。道路3/4幅程度に人間とバイクが転がりまくる。前方ではブレーキが間に合わずにさらに突っ込んでいく人々を目撃。ちょうど近くにいた高木さん、僕、朝日大二人(うち一人が入賞の柴田選手)は間一髪減速、ほぼ停止して脇を通り抜けることができた。気を取り直して4人でリズミカルにローテを回すと何とか集団(といってももう10人ぐらい)に追いついた。

 橋を過ぎた辺りで後方を見渡しても本当に誰もこない。僕らの後ろにまだ20人ぐらいいたはずなので、落車地点の脇を通れば何人か追いついてきてもおかしくない。しかし早稲田の十時選手が単独で追いついた以外気配がない。何が起こっているのか?

 ともかく幸運が訪れた。ここでまともに生き残れば自動的に上位入賞である。しかし結構な面子が生き残ってしまったらしく、ペースは速い。高木さんが瀕死、じきにちぎれる。朝日大の一人も、もう一人にがんばれ!と全てを託す言葉を叫んで消えていった。熱いぜ朝日大。

 そこから16周目までぐらい淡々と周回をこなす。しかし先頭集団との差はどうしても2分を切らない。どうなっているのだ・・・・。

 落車後しばらくして、鹿屋の内間選手は前に吉田選手がいるので引かなくなった。チーム力の差を感じる場面。彼は明らかに足をチャージして最後のブリッジにかけるつもりである。わかってはいた、わかってはいた、そしてまさにその瞬間が訪れた時にすぐに反応できる位置、気付くまでのタイムラグだったにも関わらず、僕の理性は自身にブレーキをかけた。追えない。この試合でもっとも悔しい瞬間

十時選手、富士大学の選手、柴田選手は団結して追うことができた。僕、山本選手、法政の選手は遅れる。こっちも3人で追走を組織。しかし法政の選手はあまりにも瀕死でペースを上げられないので、登りでアタックして切り離す。ついでに山本選手も切り離そうと数回アタックするが、ぴたっと付かれて離せない。これは無理だと判断して最後まで共にローテを回し続ける。昭和祈念の時二人で逃げたのを思い出す。

結局それから、逃げ集団でつぶれた漆澤選手をパスしただけで前に追いつくことはなかった。もう少し前にこれまたつぶれた吉田選手がいたはずだが、足りなかった。そして最後の急坂、中程度の負荷を継続することはできたが、もはや鋭く立ち上げる足がなかった僕は山本選手に完敗、10位となった。山本選手、敵ながらあっぱれ

 今回は全日本の教訓を生かして少なくともボトルの上手投げはしなかった。(笑)補給場所が一番前方とかなりよかったので、取りやすく、なかなか補給はたくさんとれた。サポートの皆さんありがとう。

矢作先生、岩崎さん、監督、お忙しい中わざわざ来てくださって本当にありがとうございました。今後とも精進します。一歩一歩確実に強くなるのが肝要かと。