UTokyo bicycle racing team

インカレレポート
26日 団抜き 崩壊
色々反省点があった。まずは3人に謝りたい。レース中の集中なり、準備なりぽろぽろと出てくるので練習し、TRS等で普通のタイムを出したい。まずは見ていられる団抜きを。ダウン後練習。ペース走を少しと1分走。練習したらやっぱり調子は良くて申し訳なさが消えていった。能天気でごめんなさい笑
27日
ぐっすり寝て宿前周回なるものへ。Zipp303で走ると下りが伸びすぎて怖い。途中LT付近まで上げたりしながら軽く回して終わり。帰って洗車、チェーン・プーリーにナスカルブ処理を施し準備は完璧。ラクロスボールでマッサージして体もばっちり。
インカレロードレポートへ続く…

インカレロード修善寺28周 29位
この日のために準備してきた。いろんな人に迷惑をかけ、面倒を見てもらい、何度も助けてもらった。まずは関わってくださった方に感謝を伝えたいと思います。ありがとうございました。初めて見たインカレも修善寺でDNFだった谷さん林さんがすごく悔しそうで、完走できたらさぞかし気持ちいいんだろうなと夢見ていたものだった。今は嬉しいと思う一方でもっと上を見てみたいと思う気持ちもあります。それでは恐怖の長文を投稿いたします。29日中に投稿しようと思ったのですが悩んでいたら30日になっていた。こわい…。

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11時前就寝4時半起き、前日お昼寝2時間で十分すぎるほど寝ているのにぼんやりと眠気を感じながら起床。朝食は例のおっちゃんの烏骨鶏卵を焼いてごはんとともに。補給はwiggleエナジージェルと元学生TTチャンプ安井さんにいただいたゼリーをゲン担ぎに一つ、それと粉飴アクエリと大好きな粉飴コーラ。6時半からローラーに乗り、貫名調べのコンタドールアップ。検車に向かって1周軽く回り秀峰亭の坂を2回ほど往復。7時20分くらいからみなさんスタートに並び始めていて慌てて自分もスタートへ。例の音楽が流れてきて緊張し始めるもそれより眠い。カフェインドーピングが合わない人なのが悲しい。植田にいじられながらスタート。最初の5周だけは絶対に登りでポジションを落とさない、下りは基本かっ飛ばすぞとだけ何度も心に刻み込んだ。
最初の1周は全くしんどくないものの、ポジションを上げたいのにあんまりうまく集団になじまない。2周目にはなんだか溶け込んでうまく動けるように。ホームストレートでかっ飛ばしてポジションを上げ、登りでポジションをキープ。3周目にはホームストレートは先頭に出られた。ここで3人ほど下りで飛んでいくので後ろにペタリ。幸いワンピ+前輪Zipp303なので全く足を使わずに下りは飛び出せる。右カーブを過ぎたとき後ろで大落車。東大の人が心配になるも仕方ない。集団から飛び出したまま楽ちんペースで登っていくとなぜかぼっちに。集団よりもパワーの変動がないし練習となんら変わらないので応援してくれる人を観察しながらまったりとこなす。林さんとうえむーがホームストレートで見えたので調子に乗ってガッツポーズ。そのままちんたら登っていたら次の1号橋で徳田優がアタック。自分が前で後ろから集団がやってきたのでソリアをするだけでペースアップをこなす。ラッキーすぎる!その後は基本的にホームストレートでひょろっと飛び出し、その他は集団3列目くらいでこなした。チェックに関しては鹿屋、明治が明らかに強いのでそれだけ見つつその他は傍観。上がり下がりはあるものの5踏みくらいでメディオ強度に落ち着くものばかりで大したことはなく、わらわらと周回数が溶けていく。足攣り防止のためにまめにスポドリを飲んではストレッチ、体感強度が上がってくる前に補給をちまちま食べる。ロードレースに参加している様な気がしてすごく楽しい。今日は過去最大に余裕があって周りはそれなりにしんどそう。インカレポイントも取れるぞ!そんな気がしてワクワクが止まらない。
時間は進み20周前後から明治がアタック連射。勝負所が来てしまった。基本は下りで先頭付近、登りは2,3列後退という感じだが、やばいアタックは一番後ろに下がって延命。もう集団はけっこう少ない。途中1号橋でハムストリングが攣る。生駒さんが気合だ気合いだと叫びながら通り過ぎていき、なんとか大殿筋を使ってしがみつく。下りでスポドリがぶ飲みとストレッチで回復。いつも1度攣るとどんどん死んでいくのに、今回は死なずに全快した。今日は本当に運がいい。
それでも足は限界なようで25周目の1号橋アタックで千切れる。このときはメディオ強度くらいまでしか出ない状況だった。逆にそれまでは出るということ。ついていければ…。ここがやはりウィークポイントらしい。ここからは練習のつもりで淡々と。みんながあまりにも応援してくれるものだからきついけど幸せだった。普段のローラー練でこれがあったら多分毎日できるはず。そんなこんなで完走。最後の秀峰亭は他大の知り合いが僕の名前を何度も呼んでくれるし、知り合いでない方も東大を応援してくれて本当に本当に幸せだった。植田が横を走ってゴールしていろいろ込み上げてきた。本当によかった。

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さてまずは個人として。とても嬉しかったのは確かだけど、これは始まり。そもそもただの完走で結果ではないじゃないかともいえる。一選手として仕事も何もしていないし、落車も回避できているので完走は当たり前、というのもある。次は仕事ができたり、アタックをしかけたり、トラブルが起こっても復帰できる。そういうレベルを見られることが嬉しい反面、もっと厳しく練習しなきゃいけないというつらさもある。何より今回と同じ幸せを感じるためにはさらなる結果でなきゃ満足できない。頑張ります…。
次に部として。植田を中心としたサポート体制は学連で一、二を争う素晴らしいものだと個人的には思う。経験も実力も足りない僕達にはこういうところで補う必要があって、最強のマネージャーのおかげで随分と再現性の高いシステムになった。一方選手のレベルはバラバラでクラス3の人も大勢いる。練習メニューをシステマティックにするのはなんだか違うけど、方針としてはほとんど同じなのだから一定のレベルに達するまでは誰でもできる、とは思う。あとは個人がやるかどうか。もちろん僕もその例外じゃなくて、これから強くなるかは僕がやるかやらないか次第だけど。とにかくサポートのレベルに似合うような選手のレベルにならなくちゃいけない。それは個人としての問題でもあり、部としての問題でもある。あと少し支え合って、一緒に頑張ろう。僕は同期に恵まれたので精神的にすごく支えられながら頑張れた。きっと1,2年生もできると思う。ちょうど1年前の僕はインカレの本当に最初で千切れている選手だったから。
次に支えてくれた皆さまに。この1年間主将を務め、最後の最後だけこうしてインカレを完走しましたが、その他は本当に不甲斐ない結果ばかりで申し訳ありません。ですがこのインカレで僕のLT・ベース力は十分あり、あとは引き続きLTを伸ばしつつ「勝つ」ための力を付ければ表彰台を狙って戦えそうだという証明はできたように思います。それはもちろん完走した生駒さんを始め、貫名井上も同じだと思いますし、僕と同じ轍を辿っている後輩たちもそうです。あともう少しだけ応援してください。主将としての反省点は山ほどあるので来期はそこを修正し、自分の最後の1年間を個人としても部としても素晴らしいものにしようと思います。みなさんよろしくお願いします。
最後に。柿木克之さん。克之さんにはメニューという形だけでなく、精神的にも本当に支えていただきました。インカレ29位だけではとても満足いかないのでこれからも引き続きお願いします。柿木孝之さん。福島でお会いできなかったのが本当に残念ですが、いただいた熱いメールは実は当日の朝読み直し心の支えにしていました。来年はぜひいじめられたいです。三宅監督。いつも怒られてばかりでしたが今回もやはり入賞できなかったなと笑われてしまいました。ですが顔が少しほころんでいたのは嬉しかったです。引き続き頑張ります。日直商会水口様。やっと水口さんの前でまともに走ることができました。いつの日か表彰台の前にNickを置いて両手を掲げます。HiRoad青山さん。僕の自転車を完璧な形に仕上げてくださり、メカトラを全く心配せず走り切ることができました。はるばる来て応援してくださったOBのみなさん、西岡さん。それと僕の名前を呼び応援してくれた他大のみなさん。東大のサポートのみんな。レース中すごく幸せでした。それ以上の言葉がないです。ありがとうございました。その他にもいろいろありますがきりがないのでこの辺で。いい8月だった!(まだ2日ある)

インカレロード修善寺28周 40位完走!(最下位完走)
ようやく、選手権大会を完走することができました。クラス2に上がってから本当に長かったです。1年目は順調に練習を積み、自分でも成長を感じていたのですが、2年目・3年目は情けないことに、ちゃんとした練習を継続していくことができず、成長をあまり感じない日々でした。でもそんな中でも、パワマに短い時間だけでも乗るなどして、少しずつですが、力をつけることができ、それがようやくの完走という結果に表れてくれたのだと思います。レースは壮絶で、途中遅れた時には終わったかとも思いました。最終周はもう上り坂で自転車に乗っているのさえ辛かったです。絶対にゴールしてやる、それだけを考えなんとか完走しました。
今までで一番辛かったレースでした。ツールド北海道の時は、自分でも予想外の完走という結果で本当に嬉しかったけど、今回は、また別の嬉しさです。完走できると思って臨み、しかし本当にきつく、辛かった。それを乗り越えての完走。達成感というのが一層大きかったです。レースで初めて涙目になりました。
しかし、完走というのはレースの入り口に立っただけにすぎないというのもまた事実です。今はまだ、レースしているという状態にはありません。上位の選手たちとは、歴然とした力の差があります。あと1年しかありませんが(その1年も満足にできるかまだ分かりませんが)、少しでもその差を埋めて、少しでも上位でゴールできるよう頑張りたいと思います。
今回、このように完走することができたのも、色んな人の支えがあったからこそでもあります。ひとり我儘な形で夏休みを過ごさせてもらった僕を、それでも全力で準備から当日までサポートしてくれた部員のみんな。宿の部屋を一人で使わせてもらったのも快適で、植田秋山貫名が食事を作ってくれたのも本当にありがたく、よく休めました。そして、当日の応援は本当に力になりました。三宅監督や駆けつけてくださったたくさんのOBの方々、それから部員のみんな、さらには他大学の方々まで、応援してくれて本当にありがとうございました。また、日頃よりご支援していただいているスポンサーの方々にも感謝いたします。今回の夏合宿で練習メニューを考えていただいた、Blue Wychの柿木克之さん、孝之さんありがとうございました。機材面では、日直商会様より提供いただいているMichelin Pro4を使用させていただき、安心してコーナーに突入することができました。フレームとホイールには、日頃よりお世話になっているAstutoのものを使用しました。皆さま、本当にいつもありがとうございます。
以下レースレポート
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久々に練習が積めていて調子がよさそうで、不思議と自信があったし、いつもほど緊張することなく臨めたように思う。プランとしては、ひたすら温存走法でメインにへばりつき、終盤のペースアップで動けたら動く、それだけ。アップはローラーを20分ほどの後、コースへ入って秀峰亭まで行きサインチェック、さらにもう1周すると30分前だったが既にかなり並んでいた。ミスったがアップもしたかったので仕方がない。アップの感触は、思うように体が動かないなとは思ったが、意外と調子が良い時はこんな感じなので行けるかも、と逆に思ったりしていた。食事は3時間前にレトルトの親子丼、消化がよさそうだったし、これは正解だったと思う。レース30分〜1時間前くらいにゼリーを食べたが、これは消化できていなかったらしく失敗だったかも、食べるならもう少し早く食べておくべきだった。
8時にレース開始。スタート後横から上手くポジションを上げていくことができ、長者ヶ原でペースが上がるころには3列目くらいにつけることができ、スタート位置は全く問題にならず、ほっと安心。前方でレースをこなしていくが、1周目、ラップタイムの割にきつく、やや不安。しかし2周目からは体も慣れてきたようで、(実際よりも)だいぶ緩んだなーと思っていた。
順調であった3周目のホームストレート後のカーブ、左前で落車が発生。自分の前の選手がそれに巻き込まれ、自分もそこに突入、地面に投げ出される。自転車はブラケットが少し曲がったのとチェーンが落ちたくらいで無事だったのが不幸中の幸い。慌ててボトルを回収し、チェーンを元に戻して前を追う。この間32秒ほど。周りにあまり人がおらず、ここで終わりかと思ったが、一人頑張って登っていく。後ろから日大吉田選手(たぶん)がやってきて、下り途中で合流、秀峰亭の登りは流石につけなかったが、自分も勢いよく登っていく。監督の「前に追いつけ」という言葉を聞きながら登り切ると、緩んだ集団の姿が見える。長者ヶ原を適度なペースで登り(もうそれしか出なかった)、下った先でなんとか合流に成功した。だいぶダメージはきていたけど、この奇跡、行けるとこまで食らいつくだけ。
幸い、ペースはそこまで速くない。5周目、6周目と秀峰亭でペースアップするが、他チームの「ここが耐えどころ」という声も聞こえ、もうすぐ楽になるはずと思って頑張る。その後、集団は緩む。10分を超えるLapもあるほどで、足を回復させていくことができた。但し、まだ残り20周もあるのかよと絶望はした。
14周目あたりの秀峰亭で軽くペースアップ。ついてはいけたのだが、長者ヶ原でかなりの気持ち悪さが襲ってくる。しかし、ここは緩んでいる集団。後方で2回ほど空嘔吐をしたら気持ち悪さが解消、元気が戻ってくる。水分を積極的に補給していくのがよいと気づく。
17周目、ついにペースアップ。体には元気があったので、ついていくことはできた。しかし、18周目の長者ヶ原で千切れてしまう、というかぎりぎりついたかと思ったのだが前の人と一緒に千切れた。が、ここで集団が緩むという奇跡。1号橋の登りはじめですぐに追いつくことができた。あぶねえ…。
その後はそこまで速くないペースで進行。19周目の1号橋の登りでのペースアップでは前の方に行けて、結構みんな足がなくなっていることが分かった。しかし自分も20周目あたりから足が重くなってきて、次のペースアップで遅れるなと感じる。でもこのくらい重くたって合宿で10分走やったじゃねえか、と気を取り直し、ある程度のペースならついていけるぞ、絶対完走するぞという意気込み。
そして、次のペースアップが起きたのは、完走が近づいてきた25周目。長者ヶ原の登りで僅かなところで千切れてしまう。下った先に集団の姿はなし。集団はペースアップしたようで、千切れている人たちがちらほら。ここで自分は3回ほど嘔吐。多少すっきりしたが、体は限界に近い。コムカーに無理しないよう声を掛けられるが、完走は近いはず。諦める訳にはいかない。ここからは完走目指してペースを刻んでいくだけ。
ここからはみんなの声援が本当に力になった。完走行けると言われ、ひたすら漕ぎ続ける。26周目、27周目とペースは落ちていったがなんとか切られることなく残り1周を通過した。最終28周目はもう体が動かなかった。あんまり遅いと完走扱いにならないかも、と不安がよぎって少しでも速く、と思うがもうまっすぐ走るのさえ辛い。ペースはもうめちゃくちゃ遅かったが、なんとか3回登ってゴール。自転車を降りるのさえうまくできなかった。本当に出し尽くした28周だった。

かなり更新が滞ってしまいました。すみません。

8/21 団抜き練

8/23 団抜き練+ロード練

やっと4000を計測できた。完璧に上手くいったわけではないが、外バンなら絶望的なタイムではないだろう。ロード練は土砂降りの雨でほぼまともにできず。この日は乗り込んでおきたい日だったので、ちょっとつらい。

8/24 ロード練+バンク周回

福島のラストで体調を崩して以降、久々にまともなロード練。少しきついとは感じたが、そんなにやばい感じはしない。

8/25 ベロ試走

8/26 インカレ団抜き 4'56"930 50-14

準備不足も甚だしい状態ではあったが、六大戦よりは相当進歩していたと思うし、うまく行けばちゃんと40秒代が出せるという自信はあった。設定は17.5〜17.7秒/250m。自分としてはかち上げることなく、しっかり長く引くことが目標。

時間は早くなかったのでゆったりとアップしてスタート。1回目でフライングがあって再出走。もうフライングはできないと思っていると、ややスタで遅れてふらつく。スタが速かったこともあって、序盤は少し不安定なところがあったが、やがて落ち着く。まあ許容範囲。1回目の引きは普通にペースを維持。ここまでは悪くない周回ペース。2回目の引きの前にペースが落ちたので、2回目の引きでややペースを上げる。計測上はうまく目標のペースに戻す。このあと予定通り3人になる。ここまではうまくいっていた。しかし、このあと付きミスがあったようで、3回目の引きのところで後ろが離れてしまう。あまり想定していなかった事態なので、離れていることに気付くのに遅れた。気付いてからは後ろを待って、うまく修正しようと試みたものの、またしても後ろが離れてしまい、大崩壊。残りはどうしようもなく終了。

かなり悲惨な崩壊であり、反省点は数え切れないほどある。1つここに書いておくべき大きな反省点としては、ベロでインカレをやるときは、ちゃんとベロで練習をしようということ。ベロはやっぱりほかのバンクとは全然違うし、日本にはまともな250バンクはベロしかない。東大はベロで練習をしたことがないため、そもそも利用料金すら知らず、鬼のように高額なのではないかという憶測で敬遠していたが、今後はそういうことはやめましょう。(コミュニケに1500円/半日って書いてあってびっくりした。) 柿木さんによると8月の半ばはベロはガラ空きで、1つの大学が独占使用状態だった日もあるそう。

とはいえ、崩壊したのに六大戦よりタイムは上がったので、これはギリギリにチャレンジした結果なのかなと思うし、まだまだ成長過程なのだろう。そもそも六大戦、インカレ前の1ヵ月の突貫工事で

は結果が伴うわけないし、このインカレで結果を残すと意気込んでいたわけではない。今回のメンバーは最大で2年後のインカレまでいるわけだし、今後TRSなどに積極的に出場し、来年のインカレに向けて仕上げていこうと思う。

あと、個人的な来年までのトラックの目標としては、個抜きで5分切りを目指します。

インカレロード DNF
福島合宿ではかなり調子を上げたものの、やり過ぎ感の否めなかったカーボローディングや修善寺入りしてからの虫刺されの悪化で、若干不安のあるコンディション。出走前はいつも通りローラーでいつも通りの22分のメニューでアップしたものの、脚は重く、まぁ実際に出走するまで走れるかはわからないと言い聞かせつつ検車、スタートラインには早めに並べた。スタート後は長者ヶ原で東大ジャージにくっついていき集団前方まで上がる。1周目がハイペースになるのは当然なので、きついが力を出し惜しみせず、ポジションの維持につとめた。しかしやはり思ったように身体が動かず、秀峰亭にさしかかるころには集団中方、2周目が終わる頃には集団後方とじりじり下がってしまう。3周目に入ってペースが落ち着き、周囲が明らかに休憩モードに入っているように見えたのに自分だけが苦しんでおり、心が折れかけたが、ここで千切れてはどうしようもないので必死で付いていくと、一号橋で大落車発生。なんとか手前で止まれたものの、完全に道を塞がれており、走りだしたときにはもう集団は見えなくなってしまっていた。必死で追いつこうとしたが脚が思ったように回らず、その後1周かけて形成されたグルペットからも千切れ、7周目の終わりで赤旗
もともと脚がなくて集団後方に下がってしまったことが落車で足止めされた原因であり、これが無くともやはり序盤で千切れていたように思う。合宿でのコンディションからすれば少なくとも終盤のペースアップまではついていけるだろうという自信はあったので、序盤ですら耐えられなかったことが悔しく、またここまでさまざまな面でサポートしてくださった方々にも申し訳なかった。
これまで夏に向けて準備してきたものが不完全燃焼に終わってしまったことに関しては忸怩たる思いであり、インカレという目標が1年先まで遠くなってしまった以上、当面はクリテリウムに合わせていこうと思う。
前日からサポートに徹してくれた1、2年生たちや植田、朝早くから応援に駆けつけてくださったOBのみなさん、三宅監督、夏合宿での練習を組み立ててくださった柿木克之さん、孝之さん、ありがとうございました。

こんばんは。日差しに当たっていたらいつの間にか髪の色が抜けて茶髪になってしまいました。笑 ひたすら日光に弱いマネージャー植田です。
まず、インカレ前に選手紹介ができなかったこと、合宿中数日分の日記が抜けていることをお詫び申し上げます。
それでは、インカレロードのレースレポートです。引退するわけではないのですが笑、超大作です。

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インカレロードが終わりました。やはりインカレが持つ意味は大きいものです。選手たちはそれぞれこのレースに向けて練習を積んできました。その過程を見てきた身としても、身が引き締まるような思いのする大会です。

前日、午前中から荷物の整理と積み込み。下級生たちに働いてもらい、わたしはレジアスの掃除をしていました。夕方、監督会議から帰って夕食を作り始めました。長岡くんの言葉を借りれば「無限お好み焼き」で笑、選手たちはお好み焼きをおかずに白米を食べ、追加でパスタを食べるというカーボローディングっぷりでした。その後選手からの要望を確認し、ゼッケンをつけ、選手たちがプレートを付けたり準備をしたりしている間に、サポート全員と動きの確認。わたしは自分が心配性なのもありますが、サポートに関してはこの段階が最も重要だと思っています。何時になったら誰をどこに派遣して何をしてもらうか、段取りを決めて確認しています。

当日は朝4時に起きて準備をし、宿の共有部を片付けて出発。前日からコミュニケの指示を守って確保してあったスペースに停車。そこからレースまで残り1時間半。今回は自分が動きすぎないことを意識したつもりで(結局うろうろしてしまったのですが…)、出場しない一、二年生に運搬を頼んで、わたしは基本的に選手のそばで待機していました。6時半から7時にかけて、選手たちはそれぞれのタイミングでコースへ。全員の出発を見届けてからわたしもコースへ入りました。
今回はスタート位置が秋山くん金子くんがクラス2最前、その少し後ろに生駒さん貫名くん井上くんでした。後ろの3人にはもう二年生がついてくれていたので、わたしは前方へ。秋山くんに緊張しいの顔をしてるよー、などと突っ込んだりしつつスタート待機。

そして何事もなく出走。わたしはいつも通り補給最前に陣取って、補給の準備をしつつ応援。3年目ともなると他大学の知り合いも増え、4年生の姿をみてはこれがラストレースか、と何とも言えない気持ちになっていました。
二周目、なぜか金子くんが集団で帰ってこず、ここでそんなに遅れるはずがない、何かあったのではと嫌な予感。遅れて現れた金子くんは明らかに落車後でした。血の気が引くような気がしました。個人ロードに続く序盤での落車で、いろいろなことをぐるぐると考えつつももう祈るしかない状況。しかし集団に追い付くことができず、降ろされてしまいました。
そして集団落車が発生したようで、貫名くん井上くんもそれによってできたグルペットに。有力選手も多く残っており、集団に追い付けるかと思われましたが、数周走ったところでDNFとなりました。二人とも一時期体調がよくなかったこともあり、合宿での管理がもう少し良ければもう少し頑張れたのでは、というところもあって、申し訳ない気持ちになりつつ、切り替えて補給開始に備えました。
この後に残ったのは生駒さんと秋山くん。わたしがわかりやすい補給列先頭にいたこともあり、どちらにも2,3本のボトルと数個のゼリーを渡しました。


Photo by 谷OB
今回は気温が低かったためそれほど水分を取らないであろうことを予想し、アクエリに粉飴を投入して単位量当たりのカロリーを上げました。科学的根拠のあるおまじないです。OB西薗選手による経口冷却が有効という情報に従って氷も用意していましたが、今回は使いませんでした。飲まない分もう少しゼリーを摂った方がよいのでは、と思いつつも、選手が取りに来ないので、ドリンクを基本として用意していました。
補給開始直後は二人とも余裕がありそうで、補給も問題なく進行。中盤から生駒さんがきつそうな様子に。とはいえ集団内のポジションは保っており、わたしたちにできることは応援のみ。OBのみなさんが各所に散らばって応援をしてくださいました。そして終盤、何度もアタックがかかり、集団がペースアップ。秋山くんはしんどそうに集団に食らいつき、生駒さんはすでに限界を超えた表情。秋山くんがボトルを取りに向かってきましたが、力が入らないらしくボトルを落としました。次周ではきちんと受け取ったものの、そのきつさが伝わってきて祈るばかりでした。
27周め、二人とも集団から遅れをとっており、それでも完走は堅いものに。周りの観戦の人たちからの声援も非常に大きいものでした。秋山くんは集団の少し後ろ、単独でふり絞るように最終周へ。そのさらに後方の生駒さんはもう息も絶え絶えといった様子で登っていきました。赤旗はないことはわかっていましたが、そもそもあと一周走り切れるのかが心配になるほどの追い込みでした。
二人を全力で応援した後、ゴールに備えて補給所を離脱。最後10mほどの地点の列に入れてもらい待機。先頭に続き、続々集団がゴールしていくのを見送って待ちました。

そして見えてきた秋山くん。横を走ってゴールへ。

photo by 上村くん
2年前は三宅監督が浦さんに並走していたことを思い出しました。

思わず背中をばしばしと叩きつつふたりでやったあああと叫んでいました。インカレでの2人完走は、2012年以来4年ぶりの結果です。
「(自転車から)どうやって降りたらいいんや…」と呟く秋山くんを地面に転がし笑、ふと生駒さんが心配になりましたが、ほかに誰もやってこないところを見るとおそらくみんなそちらに向かったのだろう、と判断し、秋山くんについていました。柿木さんに電話している秋山くんは本当にうれしそうでした。順位は秋山くん29位、生駒さん40位。二人とも初の選手権完走です。

photo by 谷OB
生駒さんの壮絶すぎるゴール。コメントが見つかりません。笑
実際に結果を出してくれたこと以上に、秋山くんだけでなく選手たちが結果を見せようとしてくれたことそのものを、本当にうれしく思っています。何度も言っているように、わたしは楽しくてこれをやっているので、サポートされることを負担に思うことはしてほしくないのですが、それでも、応えようとしてくれることがとてもとても幸せです。

わたしは来夏、大学院に進むべく試験を受けます。おそらくインカレと同時期です。そのため、今回が最後の全面的にサポートできるインカレになるだろうということは、ずいぶん前から考えていました。今年は8月をほぼすべて自転車に費やしました。選手に本当にいいのかと尋ねられましたが、迷いはありませんでした。チームとして、それぞれの選手にとってなんらかの助けになれたなら、うれしいです。
今だから言えますが、おそらくあと数日合宿があったらもたなかったと思います。自分でこれくらいなら最後までもつなと思って調整していたとはいえ、同期たちには心配をかけました。今年の夏の合宿は上級生がほぼいなかったこともあり、同期たちと動かしてきたという感覚が強いです。なんとなく同期で集まることも多く、秋山くんにおかんおかんといじられるのも、貫名くんの秀逸すぎる突っ込みを聞くのも、そこに金子くんがあらわれてみんなでたっくーん笑、と言いながらいろいろやるのも、楽しかったです。自由に動ける環境を作ってくれて、信頼してくれる同期たちの存在は、わたしにとってとても大きいものです。

合宿中はできる限り選手のことを考えて動いていたつもりですが、至らないところもあったと思います。また、インカレ直前期はわたしに余裕がなかったこともあり、出場しない選手はかなり雑に扱ったと思います。動いてくれてありがとう。後輩たちからみると、わたしは怖い先輩なのかもしれないなあと思っています。自分だって選手なんだからそんなにサポートできないよ、と思うこともあるかもしれません。それでも、このあと一年をかけて、わたしが伝えられることはすべて残していくつもりです。それをどう扱うかは後輩たち次第、です。

今回のレースでも、大変多くの方々に支えていただきました。Michelinタイヤpower, DEROSA Nickフレームなど、機材面で多大なるサポートをしてくださった日直商会様。練習メニューをご指導くださった上、主将・秋山くんの大きなよりどころともなってくださったBlue Wychの柿木克之様、孝之様。各選手の機材に対し、丁寧な整備をしてくださったスポーツバイク ハイロードの青山様。遠く修善寺まで足を運んでくださり、応援してくださった小藤OB, 宮崎OB, 白石OB, 中村謙太OB, 安井OB, 荒牧OB, 西岡OG, 水田OB, 谷OB, 浦OB, 林OB, 上村くん、そしてSNS等を通じて注目してくださった皆さま。この舞台で東大チームが戦うことができたのは皆さまのおかげです。東大自転車部を応援しようと思ってくださっていることを感じて幸せでした。本当に、ありがとうございました。

東大の選手たちは、もともとの経験では他大学に比べて圧倒的に不足しています。練習時間も多く確保できるわけではありません。その差を埋めるのが科学的知見なわけですが、そこに加えてサポートを充足させることで、選手たちが自分の望む形で走ることができたらいいな、と、変わらずずっと考えています。
こんな感傷的な文章を書いていますが、引退は一年後のインカレにするつもりです(というより、同期が出る最後のレースまでは残るつもりです)。
選手たちは、差をどうやったら埋められるのか、懸命に考えながら練習を積んでいます。ぜひ、暖かく見守っていただければ幸いです。
最後の1年、わたし自身も全力で駆け抜けたいと思います。どうぞ今後とも、ご支援、ご声援のほど、よろしくお願いいたします。