UTokyo bicycle racing team

目標は20周完走。三回目の門田杯、いい加減結果を出したい。
出走リストには驚きの214名。ニッポやブリジストンがいる。鹿屋はいない。例によって完走者は30人くらいだろう。学連では25人くらいか。
人数が多いので最初の数周速いかもしれない。逃げるつもりはなく、集団完走をめざす。そのためには10周目以降に予想されるアタックによるゆさぶりに耐えねばならない。そのような不穏な動きにいち早く反応するには集団の意思決定をするような面子の直近にいてアンテナを張る必要がある。
チャレンジの時、調子が良くていいイメージで修善寺に乗り込んだ。石川さんカーに乗車。石川さん、運転ありがとうございました。また、今回は監督からホイールをお借りしました。最高の舞台を整えていただきありがとうございます。
受付のあとスタートまで3時間あるのでじっくりと準備をして仮眠の後軽くアップ。羊羹6個、ウィダー2本、ボトル2本(CCD)を搭載してスタート。
案の定序盤から速いペース。後半に備えて余裕を保つようなことはできず、しっかり脚を使って集団前方をキープ。
二号橋後を先頭付近で登り始め、秀峰亭を終えるときに集団中盤、下りで再び前へという省エネ走法。登りは高回転シッティングを多用し、立たない&踏まない。しかし、本当に序盤から余裕がない。心拍は随所で190超えを記録。
4周目あたりからペースは落ち着く。早め早めにウィダー&羊羹を補給。水分も片手を離すチャンスがある度に摂る。20〜30秒で逃げ集団があった。順天の辻本&加藤の妙にクリアな声での会話が、うつろな自分の意識をはっきりさせた。あと、そうある機会ではないので片山や三瀧の走りを拝んでおく。
8周目あたり、メイン集団で二号橋後にアタックがかかり全員の腰が上がる。前方とわずかに差ができて危ない目にあった。大経大の福田も同じ位置にいて遅れかけた(彼は完走した)。全力で踏み、ここはどうにか耐える。
逃げは全部で10人ほどに達した模様。第二集団ではピンクの大学が数名かたまって逃げの構えを見せたりするものの、しばらく安定したペースで集団は進む。さらに500gのボトルを積む余裕がないのと、いつでももらえる安心感があったのでもう1本がなくなりそうになったらもらうことにして、今はもらわない。あらゆる部位を攣りかけていて、ギリギリの走り。次のアタックがかかったら明らかに無理で、処刑待ち状態。残り周回「8」の数字が絶望的に映った。
人数は相当絞られてきており、もはやここはメイン集団ではなくなった。危機を察してか、ふだん息をひそめている安藤さんも前方展開。自分は次第に秀峰亭の遅れを取り戻せなくなり、集団最後尾でしがみつく状態に。こうなると秀峰亭で周りと同じくゴリ踏みしなければならない。
そして14回目の秀峰亭で完全に遅れた。攣りすぎてダンシングができなかった。純粋に脚がなかった。首都大の山村の後塵を舐めた。
ここから、ちぎれた罰ゲームのような寂しい一人旅。脚が完全に終わっていてどうにもこうにも踏めない。15回目の秀峰亭で4分差、16回目で6分半差。この周の途中で終わった。
自分の力不足をまざまざと見せ付けられる結果となり、非常に悔しい。結果だけ見ると去年(15周リタイア)と変わっていない。たくさんサポートに来てもらっているのに肝心なところまで残れず申し訳ない。
集団走行、および省エネ走法はまずまずうまくいったと思う。ただ、4月以降の乗り込みが足りず、回復力が落ちていた。個人ロードまでの課題は距離を乗ることだ。
岩崎さん、三宅監督、今井さん、廣田さん、大田、古居、加藤サポート&応援ありがとうございました。早朝発にかかわらずレースに集中することができました。