UTokyo bicycle racing team

朝のお勤めと流し(流しは予定)。またミューズリーを食べ始める。
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昨日思ったこと。「わかっているのに出来ない」という現象はどうしたら効率よく乗り越えられるのだろうか。東大自転車部はこの問題を部として取り組んだ方がいいと思う。僕たちはこのフェーズにいる時間を極力減らす集団であったほうがいいように感じる。
「わかっているのに出来ない」問題に関する個人的な見解を「意識」という言葉を使って書く。運動制御は【意識しても出来ない】段階から【意識すると出来る】になり、最終的に【意識しなくても出来る】ようになると言われている。なんとなく無意識に出来てしまえば何の問題もないが、運動音痴な僕はそういうことはなかなかない。初めは【意識すること】すら出来ないのだ。
意識という単語が飛び交っているが、もう一つ加える。「意識性の原則」というトレーニングにおける(経験則ではあるが)重要な原則がある。これはトレーニングにおいて使用している筋肉を意識しましょう、だとかトレーニングの目的を念頭に置きましょう。そうすればトレーニングの効果がより大きくなりますよ、といった原則だ。これらを考えると、効率よく上達することは【意識しても出来ない】状態をより分析して意識をピンポイントに持っていくことなのではないかな、と僕は感じる。
スプリントを例に考えてみよう。低い姿勢でスプリントしたい、でも出来ない。僕はそうだし、多分今の東大の現役はみんなそう。でも多分低い姿勢でスプリントしよう、と考える以前にもっと細かい部分を意識しないとこれは達成できないことだと思う。僕の課題は下の2つ。
・軽いギアを回しきれない
・バイクに向かって足を「踏んでいる」のでうまく足を抜けない
バイクに向かって「踏もう」とするとどうしても体の上下動が大きくなってしまう(良い表現が出てこなかった。意味合いはなんとなく伝わっているはず…)。軽いギアでスプリントできないから踏んでしまうことも関係しているだろう。こういった上下動が大きくなると低い姿勢を維持することが難しくて、結果頑張っている「ダンシング」みたいなスプリントになってしまうように感じる。
だから軽いギアでもがく練習を取り入れ、バイクを体に引き寄せる(ただバイクを振ることではない!)トレーニングを行わないといけない。その先でまた出来ないことにぶつかれば、より分析を行うだけだ。このサイクルをきちんと執念深く進めていく。それが主体的な「意識的」トレーニングだと思う。
スプリントだけじゃない。レースでの動き、パワーが伸びない、などなどその他いろいろなことで僕や東大自転車部の選手は「できない」ことが多い。またそれをただ無意識な経験で乗り越えるほどの才能やセンス、またレースの試行回数など時間的余裕はない。出来ないことにぶつかった時に僕たちに必要なサイクルは、『意識をするために必要な情報を集め、実行し、より分析する』ということ。そして4年目の老いぼれの僕が出来ることは、後輩が必要としているであろう情報を欲しい時にすぐ手が届く位置に置いておくことだと思う。「こうしなさい」と言うのではなく、個々が分析するための情報提示をすることで意識性の原則が進んでいくのだと考えている。あと5ヶ月頑張ります!