UTokyo bicycle racing team

北海道の軌跡

はじめに。ツールド北海道に参戦するにあたり、OBの方をはじめ多くの方々から多大なご支援を賜りまして、大変感謝申し上げます。また、大会中は1週間にも渡り三宅監督、柿木さん、仲沢さんにお世話になりました。この1週間は部や部員にとって非常に大きな時間でした。お忙しい中サポートして下さり、ありがとうございました。
今年は4、5、6月と、順調にトレーニングが進み、7月に乗り込みが不足したものの、8月後半に辛うじてさらにパフォーマンスが上がった。その成果を夢の舞台、ツールド北海道にぶつけるため、北の大地に乗り込む。

9月9日個人タイムトライアル
見るからにグリップがなさそうな噴水横をUターンするコース。落車恐怖症が未だに払しょくできない自分は超安全に走る。結果はブービー

ロードレース
午後はロードレース。照準を合わせていているのは最初の峠だ。今までTRのレースはよく見ていたし、8月には走ってもいたので、スタート前も特に緊張はない。良く集中しているのが分かる。頭の回路がかなり動いている。ロードレースとは、こんなにも頭を働かせるスポーツなんだと、レースではよく思う。

集団はゆっくりとスタート。やや先導のペースが乱れがちだが、大集団は接触などもなく町中を駆け巡る。東大や順天が近くにいるとなぜか落ち着く。登りは時に400wを超えてくるくらい。
何事もなく集団は山間部へと進むが、ここで早くもトラブルが待ち受けていた。ある意味北海道に来た洗礼だろうか。
集団はペースが上がらず、横に大きく膨らんで走行していた。自分は一番左側・・・というタイミングで、左側におおきな水たまり。ここで、集団に不穏なブレーキが・・
もちろん小さなブレーキは頻繁に起こるのだが、自分はちょうど水中にいる時にブレーキをかけざるを得なくなってしまった。
速度を緩めようとする車輪が、明らかに水面上でグリップを失う・・。減速しない!すぐさま前走者と接触し、大きくバランスを崩したが、ラインを外れてなんとか立ち直る。と、その瞬間に目の前の泥地帯に突っ込み、次の瞬間には高く生えた草地をかき分け、目の前にあった歩道に活路を見出し、なんとかコンクリ上に復帰する。
この時点で、良く落車にならなかったものだ・・と半分安心、半分恐怖を感じながら、苔むした歩道を走る。集団から遅れないよう加速し、すぐに降りるルートを探すが、歩道に切れ目がない・・。
このままでは歩道の先にあるガードレールに激突してしまうので、今度は減速を試みたところ、路面が見事なスケートリンクであった。ブレーキした瞬間にスリップして落車してしまう。ここまで来て結局コケんのかよ。。とか思いながらも即刻集団を追いかけ、1度神の啓示を受けて復帰。やや車輪が触れたので、ブレーキを少し開放する(ダウンヒルは平気だろうか・・)。また、かなりの泥の上から出血していて、走りながら水で少し洗う。普通に痛いし(7月からカラダが傷だらけだよ・・)、ここでこけてることが恥ずかしい。でもそんなのどうでも良かった。その怪我しててどうでもいい、と思っている自分をどうでもいいとは思わなかったが・・。
集団に復帰して間もなく、峠の始まり。ペースが上がらないことから集団は密集し、少々ストレスのある走行。
途中にミヤタカ選手が自分の右からペースを上げ、ヒルクライム中に400w1m×2を混ぜられた所でかなりきつくなる。気がつけば周りには順天の選手が・・そう、最後尾。ついにはそこからも遅れてしまい、三瀧選手や半田選手、三谷、ブリッツェンと千切れメンバーで頂上まで我慢。それらの選手よりは先行して下り始める。
試走してあるこの下り、なんとしても追いあげなくてはいけない。ここ最近の恐怖心と戦いながら、なんとかノーブレーキでバイクを傾ける・・。ホントこの瞬間にあった集中力はなんだったんだろう。自分の感覚がタイヤの先にある感じ。そして、この一瞬一秒も恐怖心と戦っている。落車したカラダはもちろん痛い。そしてコーナーに侵入する度に、体がまたあの落車のシーンや痛みを連想させてくる。とても鮮明に。そしていつでも落車しろよ、的な心の声が聞こえてくる。「もう痛いの慣れてんだろ・・」と・・。
下りながらも、サポートカーは猛烈なアクセルで抜いていく・・。

とりあえず奇跡を信じて、何人かを捕まえてゴールを目指すしかない。13分ほど走ったところで、後方からアンカーの選手と半田選手が現れる。これがかなりきつく、あんなにアンカーの選手が引けるんなら、正直いって○き○ちでもよかった。先頭出るたび350W超え、こんなのあと1-2時間も続く訳なかったんだから・・。
10分ちょっとで遂に・・遂に・・三瀧選手からリストラ(なんで体重軽くて登り遅くて平地速いんだろ・・)。
最後尾へ・・。。何をやってる?なんか落車してから頭の中が常に興奮してないか?アンカーの選手に向こう張り過ぎてなかったか?でも結局・・俺が遅れてるんだよ!!何やってるんだバカ・・
独走の始まり・・。
風が強いのかも知れない。いや、強かったんだろう。でも、走っている時にはそう思わなかった。ただきつかったから。それを忘れようと、ただ我慢していただけだから・・。
記憶が頭を巡る・・ここ2か月の、3度の落車事故、福島合宿・・ついには自分が入部して初めて先輩と走った日まで・・。
今頑張らないと、諦めちゃいけないんだと、もう切なくもなった・・とにかく走った。。
いろんな試行が巡って来て・・なんでこうなったのか、と考えてしまった。そう、足りないものがあったから。ここにいる選手達がおそらく持っているもの。下りの途中でなぜ妥協したのか・・あの時全力の中の全力を出し切って啓示を受けなかったのか・・・これが一番悔やまれる。じゃあ普段から、こういうことしてたのか・・?何が何でも、絶対遅れてはならないと、食らいついていたのか・・?そう、今こうなったのは自分に足りないものがあったから・・。
肉体から来る苦痛に負けない精神力=きつい時にも絶対投げ出さないこと
他の選手と比べて、これが自分には足りていなかった。ショックにも近い感情が湧いてきた。普段の練習では、ここまで心に刻まれることはないだろう。走っている時に考えた。自分はこのレベルにいる人が持っているものを持っていない。この競技に向いているんだろうか。もう辞めるべきではないのかと・・。

・・・

ただ、いま走り終えて思う。決定的に足りないものがあった。このことに気がつくとこができたこと。これは非常に大きなことではないかと思う。その現実を見て、引退することもできるだろうし、それはある程度自然な流れなような気もする(自分は今まで時間切れ以外で引退をしたことがないが・・)。
ただ、ただ、その足りなかったもの、それに気がつくことができたのだから、なんとかしてそれを得るために努力してもいいと思う。ただしこれは今までの自分を変えるものであるから、生易しいことではない。そして、今、そのことに割ける時間はみるみる減ってきているように感じる。しかし、そんな時間の意識とは、社会人レーサーに比べたらくだらない話だ。このことは常々痛感している。
自分にとって普段欠かせないこと、それに加えてこれからチャレンジすること、そのすべてでうまく結果を残す意識があってこそ、自分も成長できるはずだから。

ただ・・それが大変なんだよな・・。

北海道からの帰還後・・Deutsche Bank Global Marketsのインターンを終えて・・。

さあ、まずは身の回りの体制を立て直さないと。できるかな・・。