UTokyo bicycle racing team

チームTT後、いつものお宿へ。食事と入浴が済むとミーティングで無理をいって、自分だけ機材を専用にしてもらった。譲ってくれた人は本当にありがとう。これでパンクリスク等は消えた。そして絶対にエースとしての結果をもって帰らなくてはならない。

9時過ぎに昏倒。前後不覚。

8時前にようやく目を覚ます。少々疲労しているものの、やれるだろう。徐々に空は明るく、北海道により近い青さの空が広がろうとしていた。(そう、その青さは再び挑戦することになった北海道の空を思い出させた)暑くなりそうだ。途中コンビニで氷を買い込んでレース会場に乗り込む。

しばらくして森泉や1年がレースを終えて帰ってくる。自分なりのタイムが出せたようだ。機材の準備をして、他大の選手や柿木ご兄弟とぽてぽて歩き回りながら喋る。大会本部のスピーカーは暫定順位を読み上げている。予想通り個人追い抜きのスペシャリストの早稲田大学佐々木選手が首位につけているようだ。個人追い抜き選手はTT強いからね。

10時がまわって本格的な準備。そして公道でいつも通りのウォーミングアップのセットをこなし、ぽてぽてスタートラインへ。今回も冷えピタ装備。頭は完全エイリアンのLASのTTヘルメット装備。後でこのヘルメットがなかったら・・・とぞっとすることになる。

十時君や加藤君と談笑しながらスタートを待つ。顔なじみとレースできるってこういうところが素晴らしい。恐ろしいことにシリーズランキングのために出走が最後である。午前中から出走順によって風が全く異なり、お天道さまの気まぐれは何人かの強豪選手達にタイムの暴落をもたらしていたため、僕も心する必要があった。もっとも恐るべき相手、伊藤選手が発走していくのを横目にみる。

そして発走。やけにフライングにならないように審判から警告をうけて発走。なんなんだろうな?と思ったが、後で腑に落ちることになった。

パワーメーターを使ってデータは全て周到に準備をしてあった。様々なペースをシュミレーションして、最適な配分を考えたのだ。そして現場での要点は1.今日の調子はいかほどで、どれぐらいまでなら大丈夫か。2.どれだけ本番効果のアドレナリンを使って、限界を引き上げられるか 3.いかほどエアロダイナミクスに気を使ったポジションを維持できるか。
理性と自分との対話が勝負の鍵を握った。
ひたひたと進む、進む・・・。往路はかなりの追い風。ちらちらと50キロもの数字も見える。調子の悪そうな十時君をずばっと抜き去る。自分の余裕はありすぎてもなさすぎてもいけない。ここら辺のさじ加減一つで勝負が決まる。
折り返しで18分台。このままいけば日本記録だよ、と思いつつ岩崎さんの勝てるぞ!という言葉を胸に折り返す。なぜか勝てる気がしたから不思議。折り返すちょっと前に加藤君も見えたが多分追いつくまい。しかし、TTの得意な加藤君に近づけているということは全てがうまくいっていることを示す。
後からきくと伊藤選手も同タイム折り返しだったらしい。
精神を残り時間(予想)と、残り距離(現実)の減少をモニタリングすることによって健常にどうにかもたせ、出力を維持する。足の回し方や姿勢を変えてたまに血行をよくする。
のこり6~7キロを残して出力を全開に。同時に風も全くの荒れ狂う向かい風となった。内臓がきしむのがわかる。このままうまくいけば良いタイムが出ることはこの時点で確信していたが、足がつったりすれば全てが水泡に帰し、かといってこのラストスパートなくしては勝負を失うというのが本能的にわかった。身体の全てを絞り取る。
前に市山選手、飯野選手を捕らえ、最後の500メートルほどでなにかが横にいるかのようにダンシングでスパートした。(ダンシングする筋肉しか残っていなかったともいう)とにかくその時は何も知らなかったが、この渾身のスパートは百金の価値があった。

涎をまき散らしつつゴール。きたねー。そして死亡。

しばらくしてチームメイトの元に戻って、なぜか罵声?(笑)を浴びせられつつ結果を待った。監督からひどく微妙な状況にあることを知った。まあ、これからもう一度走れるわけではない。祈るのみ。

そして閉会式の集合。呼び出しは僕からだった。初の全国タイトルを獲得した!2位の伊藤選手は韓国帰りで疲労していたにもかかわらず、結局最終リザルトは0.1秒差だった。やはり厳しい相手だった。

最高の秋田を終えて、帰路についた。この時ばかりは近くのバーでバーテンダーの方と祝杯をあげずにはいられなかった。(そしてホストの方と人生について深く考えた)

また一つ、東大チームの総合芸術を完成!岩崎さん、監督、チームメイトたち、スポンサーの皆様本当にありがとうございました。今後とも応援よろしくお願いします。