UTokyo bicycle racing team

全日本ロードレポート。
結果:6位以下のメイン集団で中ほど。15~20位ぐらい?
 ついに正真正銘の全日本大会に挑む機会が巡ってきた。今年はシーズン最初から良い兆候が色々現れている。しかし自分は本当に強くなったのか?そのことを真実確かめるには、猛者たちと共に走る100kmオーバーの厳しいレースで生き残る必要があった。門田杯に出場しなかったので、後日あのレースはお前完走できねえよなどといわれたことを根に持っているというわけではないが、意地でも成し遂げるつもりだった。
 飛行機輪行は相変わらず大変。最近空港リムジンバスを使うようになってから若干負担が緩和されたものの、輪行バッグもプロテクションが弱いしそろそろハードケースを用意する必要はあると思う。行きの飛行機にはメイタンの人達や日大のメンバーも乗っていた。日大の人達は帰りも同じ飛行機であった(ついでに宿泊場所も同じだった)。越海君とちょこちょこ喋る。東さんが東京人らしく飛行機に乗った経験が少ないのでテンションが高い。ええ、鹿児島人は慣れっこですとも。
 ホテルは7000円台の宿とは思えない快適さだった。自分の寮の部屋の3倍ぐらいのスペースと、いい温泉がついていた。受付、試走にいった後その温泉を満喫して部屋でゆったりと過ごす。東さんのディレイラーが絶不調だったのだが、IPUの塩原監督が親切にもなおしてくださる。お世話になりました!鹿児島県車連の方々とも話して励ましてもらう。帰ってからの夕食もゴージャス。出走が12時ということもあってそんなに早く眠る必要はないのだが、食後はむやみに眠くなる。
 翌朝目が覚めると天気は快晴。最初は雨が心配されていたが、今度は厳しい暑さが心配される。事実かなりの本数の補給を消費した。通常の気温の1.5倍は取ったと思う。今考えると、昨年の個人ロードのとき、自分がとった補給の少なさに我ながらあきれる。
 東さんのご両親をサポートに迎え、いざ出走。今回の目標は先頭集団できっちり完走して結果をしっかりもって帰ることである。そのため走り方は守り気味。具体的なアドバイスは某アドバイザーにしっかり受けていたのでそれに従い、具体的な目安とするのはいつもの学連上位陣とした。1周目、2周目とペースは普通。この時点では集団の前1/4ぐらいに位置取る。後方に下がるとワインディングの下り等で中切れの危ない空気が充満していたので、少々強引な手を使ってもさっさと前にいくように心がけた。前方では逃げが発生しているようだが、さすがにまだ決まらんだろうとかたかをくくっていた。後から考えるとみんなこういうふうに考えたのはまずかった。(僕も5分差ついて、さらに開いた時にはさすがにやばいと思ったが、一人で何とかできるほど強くありません。)3,4周目で不気味にペースが落ちて(逃げの容認)差はみるみる開く。今年から無線が禁止されてしまったので逃げの面子がわからなかったのもかなり痛かった。あのエントリは逃がしてはならない面子だ。おそらくあの時集団のペースを計画的に上げられたのは、日大と法政だけだったがどちらもあまり動きはなかった(それ以外の強豪は人数が少ないか、逃げに入っていた)
 ペースは十分に対処できる範囲でメイン集団内中盤のレースは進むが今回ばかりはOnly the paranoids can surviveの精神で(あんま好きじゃないが)、ともかく温存、温存。自分の力を過度に恃まず補給に努める。初期搭載ウィダー3本、ボトル2本と、追加で渡されたボトルを4本ぐらい(うちウィダー入り2本、)(と、さらにニュートラルから水浴び用のボトルを3回ほど)を全体で消費した。それでも最終周に痙攣が来た。
 メイン集団で絶対的な実力と経験を持っているのはシマノの島田さんと、ニッポの片山さん。二人がお互いを意識しあいつつ、エスケープを決めようとする場面がちょこちょこあったが、その度に集団はスピードを上げて飲み込む。そういったペースアップのたびに集団のしっぽは短くなっていく。それ以外なにがあるというわけではないのだが、暑さと距離で集団は摩耗している。結局全体で20数人まで絞られた。あの面子がね・・・。
 僕の頭の中では周回は全体の周から常にマイナス1されていた。そこまでは、たとえ全力を使い果たすことがあってもついていく必要がある。すなわち、完走のために。私的残り周回3周(公的4周)ぐらいから光が見え始めた。しかし、この辺で始めてわずかながら足がつる(四頭筋)。シッティング重視で二頭筋主体に走り方を変える。しばらく休むと一応回復。
 ラスト一周に入った時には正直ほっとした。ここでほっとできてしまう辺りが、他の強豪選手とのギャップで、埋めなくてはならない部分だと思うのだが、少なくともその時はそれが正直な気持ちだった。急に足に力が戻る。平穏無事に残り半周まで進み、登りセクションが始まる。段階になっている坂のところで中央飯塚さんと日大越海君がエスケープ。ちょうど集団先頭にいたし、乗るか迷ったが、留まる。そして最後の一番きつい坂で一気に集団のペースが上がると、先ほどの足の痙攣がダンシングに切り替えた途端襲ってきて、かなり危ない状況に陥る。3-4秒差ぐらい集団に差をつけられるが、ここは焦らず、下りに入った瞬間普段の修練の成果・ソリアを行った。310Wアベぐらいで集団に復帰できた。下りで踏むことは重要ですね。
 ゴール前の登り、明治市山君が早々に仕掛けるがもうちょっと我慢。横で片山さんがペースを上げるのを確認してスプリントに入った・・・が、やっぱりまだ早かった。失速して何人かに抜かれる。結局大集団の中ほどでゴール。
 細川さんも(そう、細川さんがいらっしゃって補給サポートをしてくださった。エリートに出るらしい)、東さんもすごく喜んでくれて、とても嬉しかったのだけれども、一番嬉しかったのはいつもはクールな大島さんが顔をほころばせて褒めてくれたことだったかもしれない。ともかく、やった。
 帰りが崩壊した身体でまた辛かったのだが、どうにかこうにか家に到着した。まさに生き延びたという感覚だ。なにはともあれ遠征が無事に終了して良かった。
反省:補給を上手投げでぶん投げてはいけません。左側から渡されているのに右手でキャッチしては危険です。集団走行をもうちょっとうまくなりましょう。など。反省点多し。逃げにも今後は乗っていきたい。
Thanks:まずは東さん、おつかれさまでした。東さんのご両親には補給までさせてしまって本当にありがとうございました。細川さん、今回代表に選出してくださった鹿児島県車連の皆様、塩原監督、ありがとうございました。