UTokyo bicycle racing team

長いですが、、長いです。すいません。
■目標 必達目標、完走 上位目標、10位入賞
■結果 25周DNF(23周目に入った直後のゆるい登りで完全に千切れる)
■総括 目標が達成できなかったのは、純粋な力不足でした。どんな力が不足していたかと言うと、自分の走力をレース展開の中でうまく引き出す力が不足していました。要は試合の経験不足です。後に詳しく書きます。一方、完走できる走力は、今シーズンの練習でつけることができたと実感しました。そこは評価しています。
■レースリポート 
気温は24~30度くらい、無風、晴れ。最高のコンディションだ。ウォームアップはコースを3周。早めにアップを始めたために、サインチェック開始直後に場所をとることができ、好位置でスタートを切れた。重要なことだ。
1~2周目 スタート直後、たいへんな集団だ。前にいようが中にいようがたいへんなプレッシャーを受ける。こんな洗練された集団で走ったことは個人ロード以来二度目だったので、早くもものすごいストレスを感じる。1周目はゆるい。いつパレードが終わったのか分からないくらいゆるい。2周目、一号橋から、6人くらいで本気の逃げが入る。なんと内藤が果敢に逃げに乗っている!!心強かった。
3~8周目くらい、メイン集団はまだまだゆるい、逃げは強者3人に絞れ、集団とのタイム差を広げてゆく、最大3分45秒程度。集団がなおもゆるいのは、逃げに乗っている日大、鹿屋、中央が集団を引かないためと、28周の長丁場なので明治、法政が後半の追い上げで追いつけると踏んで逃げを泳がせているから。ならば自分も集団の中で力を温存すべきだ。しかし、分析はできても実際は前に出られるのをいいことに、ついつい空気抵抗の大きい前方で走ってしまった。ついついと言うのは、集団内にいるストレスから逃れたいためと、集団内で補給を取る自信が無かったために補給の時に前に行ってしまったということ。温存すべき前半で、少しずつではあるが足を使ってしまったことが完走できなかった最大の理由だ。足を無駄遣いしたポイントはもう一つある。二号橋あとの登りで、集団は橋のところから流してゆるく登っていたのだが、自分は常に橋で踏んで勢いをつけ、坂の途中で先頭の壁にぶつかって大きくブレーキをかけていた。これを毎周繰り返したのは、今から思うとなんと学習能力の無いことか!これは、試走で身につけた「自分の走り」を意地を張って貫いてしまい、臨機応変に集団のペースに合わせられなかったということ。
9~15周目 前半で無駄な動きをしてしまったために、徐々に疲れがたまってくる。するとこの段階での一番の落とし穴、気持ちの萎えがやってくる。もういいかと思ってしまう。頑張ればまだ走れるのに、頑張ろうとしなくなる。理由は分からないが、レースでは必ずやって来る瞬間だ。この辺りで切れていても不思議ではなかったが、インカムで小宮山に頻繁に電話をかけてもらうことで、この山場を克服した。気持ちが折れそうなときのチームメイトとの会話は実に有効だった。こっちからはまともな返事ができなかったけど、電話がかかってきて頑張れと言ってもらうだけで力になった。ありがとう。実は、この対応は事前に考えておいたものだった。本番を念頭に置いた28周試走で、ここら辺で精神的な山場が来ると予測していた。
16~19周目くらい 足が重くなっていく。集団の前に出られなくなってくる。自分にはそれが不思議なことに感じた。さっきまでその気になればすぐに集団の先頭に上がれたし、集団は自分の制御可能な範囲内にあると感じていた。しかし、いまや集団のペースに引きずられるような感覚になっていた。レースでこれだけ長く走るのは初めてなので、この感覚は初めてのものだった。しかし、この段階ではまだ位置は下がっていなかった。
20周目くらい ついに切れる。一号橋あとの登りだ。集団にはまだ西薗がいる。落車しても集団に復帰して走る西薗の姿には、大きな勇気をもらった。二度目の落者は真後ろで見ていたため、まさかあの落車から復帰できるとは少しも思っていなかった。が、西薗は戻ってきた。俺はもうだめだ、あとはお前に任せた、そう思って前を見上げたら「き、切れてるー!!」。うぉーい、こんなところで切れんなよ!!集団から切れかけている西薗を見てなぜか力が湧いて自分は集団に復帰することができた。西薗を引き上げようと思ったけど、こちらにはその余裕は無かった。しかし、あそこで多少時間を使ったとしても二号橋あとの登りで挽回できたので、今思えばもう少し余裕を持って対応すべきだったと強く反省している。
20~22周目 天国を真上に見上げつつ、地獄へ下る階段を転げ落ちる、魔の時間帯が始まった。集団からちぎれそうで、踏ん張る時間帯だ。つまるところ、後手後手に回って、集団内にいれば楽に走れるところでも、全力で踏まなければならない。こうなっては千切れるのは時間の問題だ。苦しさは感じていなかった。むしろ頭で思っても体が反応しないというのが、実感に近い。この状態で2~3周ねばれたのは、我ながら驚異的な往生際の悪さだったと思う。
23~25周目 天国の光は見えなくなった。ついに集団から完全に切れた。さっきまであのペースで走っていたのがウソのように、ペースが落ちる。冷静に考えて、完走できない。完走はあきらめた。しかし、その上で試合は絶対捨てない、最後まで全力で走りぬくと心は決まっていた。自分でペースを作るために周回ラップを計るようになった。切れてから一人で走った1周半は周回11分30秒ペース。後半、よだれのステキな東北学院の人とローテしてからは、10分30秒のペース。いい調子だと思った。この調子で行こうぜ!と死に体の二人でローテして活き活きと悪あがきをした時が、この試合で一番幸せな瞬間だった。沿道のすべての人から声援が送られているようだった。26周目に入る時、赤旗が振られて降ろされた。
インカレが終わった。
■補給 朝ごはん1200キロカロリー レース中推定摂取カロリー 2000キロカロリー 内訳、ウィダー5本=900キロカロリー 固形物600キロカロリー スポドリ500キロカロリー
予定していたより少なかった。敗因の一つだ。もちろんカロリー補給は十分意識してやろうと努力した。しかし、意識しただけで補給が実行できるほどレースは甘くなかった。レースの中で補給を十分に行うのは一つの技術で、練習しないとできないことだということを学んだ。
■自分の練習メニュー 6月、巡航速度アップのためのステディステートインターバル。7月前半、最高速度アップ・リピータビリティ向上のためのディセンディングインターバル。7月後半、スタミナ向上のための走りこみ1500キロ。8月上旬、合宿。8月中旬、試走。8月下旬、本番をイメージしたペース走。一週間前、ディセンディングインターバル。
ステディステートインターバルとディセンディングインターバルは有効だった。ペース走が不十分だった。本当の意味でのペース走、4~5時間一定ペースで走り、初めはゆっくりだと感じていたペースを保つのがだんだんきつくなるもの、はほとんどできなかった。質の高いペース走をやるコースを開拓する必要があるかもしれない。
■考察〜試合で勝つために〜 「実力=走力×走力を試合で活かす力」だと思います。走力は、スタミナ、巡航速度の速さ、最高速度の速さ、リピータビリティから成っていて、練習を通じて高めることができます。しかしこれだけでは勝てないということが、今回のレースで学んだことです。自分の走力を試合で活かす力が必要です。集団走行におけるストレス耐性、レース展開に合わせて出力の強弱をつけられる自制心、エネルギー補給の技術などが挙げられると思います。こちらは実戦の中でないと身につけることが難しい力だと思います。
よって、試合で完走なり上位入賞を狙うためには、完走できるだけの走力をつけた上で、さらに2~3回はメジャーな大会に出る必要があると思われます。そして、メジャーな大会は年間に3~4回程度(門田、個人ロード、インカレ、+α)しかありません。つまり、時間がかかると言うことです。4年目に、完走できるだけの走力を身につけたのでは、今回の僕のような結果に終わってしまう可能性が高いです。できるだけ早い段階で、実戦で密度の濃い経験をつめるだけの走力をつけておく必要があると思います。これからの一年生、頑張ってください!!
■感想 「何のために走るのか」。インカレを走って、その答えが見つかりました。走りを通して自分らしさを確認するため、僕は競技をやっていました。赤旗が振られて、地面に足をついた瞬間、湧いてきたのは悔しさでも達成感でもなく、自分らしい粘り強い走りをできたことに対する満足感でした。
インカレというすばらしい舞台に立てたのは、自分を支えてくれた多くの人達のおかげだと思っています。監督、岩崎さんをはじめとする多くのOBの方々、両親、そして何よりも一緒に苦楽を分かち合い切磋琢磨した東大自転車部の仲間、本当にありがとう!!!これからもよろしく