UTokyo bicycle racing team

インカレ入りしてから色々なことがあり、非常に濃い遠征でした。
たくさん書きたいですが、今回はロードについて書きます。

トラックがひと段落した前夜、自分はどういった走りをしに来たのかを延々と考えていた。
怪我しすぎで、実力的に勝つことはできない。勝てないなら試合でいい練習をしろ、というのは最近のチームの流れ。
そう考えると前半に先頭通過を狙うというのがある。だが、それは他のチームメイトの士気に悪影響がありそうだ。
うむ。結局、いける周はチームのエースを、得意な下りでいい場所に牽引するなどの、アシストをしようと考えた。あくまでもできればの話であるが。

スタート前。そういった作戦から、無駄なものは持たないことにした。補給とか心拍計とか(実はグローブも・・試走中に落とした・・)、何も持たずに最軽量でいった。
前半、位置取りがうまくいかないが、予選のように登りでばーっと前に行くことはせず、下りで順位を稼ぎ、登りは回して温存をつづける。予選より遅いので、ペースアップを今か今かと待ちながら前を眺めていた。27Tも使えるゆっくりな登りだった。
4か5周目で少しペースが上がった。千切れないがちぎれそうな場面が続き、「きつくないきつくない」と念じて筋肉を動かすように命令していた。危険な状況で集団の後方にいたころ、なんと登りの最後に西薗がバイクから降りている。
内藤と登りで止まり、その場面ではもう以心伝心だった。西薗を待った後、集団に復帰させるべく全開引き。全身に血がばあーっと巡ったのが忘れられない。本当は集団前まで連れて行きたかったが、自分でもどこから来たか分からないマジカルな力だったので、集団の中までしか持たず、そこで西薗を放す。平然を装う顔で、残りを託す。
自分も集団に復帰したのだが、一瞬だけ精神的に何かひと段落ついてしまった。レースに出ている意義のようなものが、ある意味完結してしまった。すぐに思い直し、まだ仕事はあると思って集団に引っ付いていこうとした。集団は速くないので、今力を出せば追いつける。むしろ今まで3年やってきてこんなに手が届くところに集団がいる。なぜ行けないのだろう。なぜさっきまでは気合で着いていけたのだろう。力がでない。ためらった瞬間に車間が開き、すぐに風が抵抗力を増し、終わってしまった。実際西薗はまた落車してしまい、もう一仕事あったのが悔やまれる。
ちぎれた身ではあるが、途中に口の中が糖分でしんどかったので水の補給をもらう。8周あたりで降りる。

このインカレでチームが得たのものはとても大きいと思います。来年、確実に進化した東大がインカレで爆発すると思っています。
最後になりましたが、行き帰りを含め、手厚いサポートをしてくださったOBの方々や役員の皆様、本当にありがとうございました。