UTokyo bicycle racing team

全体的にはメーリスの通りです。
以下門田の個人的なレポートです。

本番にきて体調はよかったし、たくさんのサポートのおかげで考えうる準備はすべてできた。補給は、いつもどおりの5個入り薄皮あんぱん(開封済)とウィダーひとつ(開封済)をポケットに忍ばせ、ボトルは濃いのと薄いのを用意。CCD&ウィダーミックス一本にCCDのみのものを一本。また、日焼け止めに加えイエローのバルムオイルを丹沢さんに塗っていただいた。とにかく脚を温存し中盤の勝負所で使えるようにと心がけた。
1,2周目は8分台ながら難なくついていく。ただ、毎回秀峰亭手前でやたらペースが上がるのに対して無理についていかなかったため、集団の中盤から後ろに下がり一号橋の上りで前に出るというのを繰り返す。しかしながら集団後方にいるのはよくないと思い3回目の秀峰亭で踏んでみたところ、早くも左ふくらはぎからピクリと危険信号が発せられてしまった。その一線を越えてしまっては元も子もないので、その後は二号橋直後に前に出ていき秀峰亭手前は離されない程度に下がりながら走る。そんな自分に対して西薗、東はしっかり前方にいて安心感を与えてくれる。
5,6周目あたりはペースは落ち着き、ただ着実に疲労を蓄積する。
9周目だったか、秀峰亭後の上りでその時を迎える。集団が一斉に腰を上げバイクが左右に波打ち始めた。目いっぱい踏んである程度耐えられたと思った。が、ホームストレッチへの下りでは集団は一列棒状。ホームストレッチではまばらな人影に愕然とする。一号橋後の上りでは完全に二分されていて先頭集団まで数十メートルの開きがあった。第二集団、みな全力で追う。時間差はまだ10秒もない。
先頭集団もペースが緩んだらしく、次の周の一号橋後の上りでまだ前が見える。20秒差との情報。しかし、残念ながらほんの目の前に横たわっているその差をつめるパワーは残っていなかった。
あと9周もある。第二集団も法政が一人やたら引っぱりあまりペースは落ちないのでこのままこの集団で我慢すればもしやとわずかな希望を抱くが、差は2分、2分半と広がっていく。西薗が切れ孤独な我慢比べ。実はこのあたりで自分のサドルが少し下がってきたことに気が付いた。締めが緩かった。もはやシッティングでは十分踏めないので上りはひたすらダンシング。非常にちぎれかけるが秀峰亭でのものすごい応援に励まされながらひたすら耐える。
そして、むなしくも15周終ったところで集団ごとラップされ門田杯は終った。

<反省点>
・あのアタックの瞬間は忘れられない。インターバル練で閾値を上げ秀峰亭でも一時的にしっかり踏んで常に集団の前方で展開できるようにならないとアタックへの反応が遅れてきびしい。この点で目標は明確になった。
・ホームストレッチでも踏まねばならない状況が多くて食べる補給をするポイントを図りにくかった。秀峰亭後のショートカット路のある緩い上りの後か、ホームストレッチか、下りか。

早生まれのため実は来年も門田に出られる。でも今は忘れよう。その前に個人ロードだ。よりスピードとテクニックと持久力が求められる。長丁場を走りきるには200キロを乗り込むような練習も必要だろう。武蔵五日市〜鶴〜松姫〜風張なんて。。